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2007年3月30日 (金)

善光寺大本願地点の発掘調査

奈良を出るときはとても違和感のあった薄手のスキージャケットだったが
長野に着くとまだこれでもちょっと寒いくらいだった

善光寺大本願の発掘調査現場で
長野市埋蔵文化財センターの青木さんと宿野さんからお話をうかがう

場所は善光寺の大門を上がったバス通りの突き当たりのすぐ西北
あの元屋さんは、調査地点の南を東西にはしる通りをはさんで南西約数十メートル
この場所に立つと誰でもすぐに気がつくことだが
この通りの南と北では段差があり
その差は参道を越えて東に向かってどんどん大きくなっている
調査地は参道のすぐ西なので、この段差が生まれはじめる場所にあたっている
なお現在は、この段差を護るために、南の通りに面して立派な石垣が設けられている
前にも書いたが
鎌倉時代の善光寺の本堂は、現在の仲見世のほぼ中央にあったと考えられており
それを囲む境内の範囲の南限がこの段差にあたると推定されている

実は今回の調査で最初に目に飛び込んできたのが
露出した岩盤と調査区の南東で急に下降する傾斜地形だった
現在の風景は、この傾斜地が埋まった後にできたものなので
時間を溯って、この傾斜地に埋まっている土が無かった時は
当然今のような段差も無く
さらに岩盤が露出したでこぼこした姿がここにはあったわけで
今とは全く違った風景がそこにひろがっていたことになる

周辺地区の調査結果と照合しないといけないが
もしかしたら
この南東に下降する傾斜地形はそのまま参道を越えてのびているのではないかと思われ
もし、そうであるならば
現在見えている段差が東に向かって大きくなっているのは
それが元になっているからではないかと
そうすると、今まで段差と言ってきたが
それは要するに、ある時期に現在の大本願の南のどこかの高さを基準にした方形の平坦面をつくりだす工事がおこなわれた結果によるものなわけで
それが、この傾斜地を覆っている土と直接関係するのか
あるいは間接的に関係している可能性も考えなければならないのだが
記憶間違いで無ければ、門前のあたりでも、参道の東は大きく傾斜していると聞いたように思う
古代の善光寺とその門前の風景は、今と大分雰囲気が異なっていたような印象をもった

報道にもある古代の瓦は
この傾斜地形に埋まっている土の中からたくさん見つかっているという
この層が掘りあがって、その中からみつかったものがはっきりすれば
善光寺の古代と中世の風景はとても鮮明なものになると思う

善光寺の瓦については
これまでの多くの研究によって
白鳳期か平安期かの議論がおこなわれいる
今回見つかった古代瓦が、この議論をさらに活発化させることは間違い無いでしょう
詳しい検討を経ないといけないが
立派な瓦を葺いた古代寺院が、このすぐ北に建っていたことは確かである

それから、もし善光寺に対する熱い思いで勝手な希望的観測が許されるならば
この斜面に埋まっている土に関わる出来事のどこかに
頼朝の善光寺復興による何かのサインが示されないだろうかとも思っている
今後の調査が大いに期待されます
善光寺は古代も中世もとても面白い

そして今の長野も訪れる度にお洒落になっている
権堂の北にできた新しいマンションや
去年の夏にできたSBCの新社屋
それから高校の同級の白蓮坊に案内してもらった本陣の藤屋さんがとてもお洒落なイタリアンになっていた
故郷のひとつをここにおく者として
とても嬉しいことである
大本願の宝物館も初めて見学できた
天皇家の御物や戸隠神社の神像など貴重資料が多く並ぶ
善光寺を調べていたときに戸隠との関係も見ていたが
やはりいろいろなつながりを感じる

同い年の友人達と再会を約して
後ろ髪をひかれるとはこのことだろうと思いつつ
初めて長野新幹線で千曲川を溯る
軽井沢からあっけなく坂東の坂を駆け下りる
池袋で降りると季節はすっかり春になっていた
明日はスキージャケットからスーツに着替えなければ

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