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2007年3月 5日 (月)

聚楽第探索ツアー中編

ということで
聚楽第をマクロとミクロでみるための具体的な方法を考えていきたい
方法は3つ
発掘調査で得られる遺跡情報
絵図や地図などから得られる地図地名情報
大きさや印象が記された史料エピソード情報である

歴史地理を専門とした足利健亮さんは、エピソード史料情報と地名情報をあわせることで、マクロ的な視野に立った聚楽第と京都の関係を考察した
考古学を専門とする鋤柄は当然遺跡情報を
ということになるが
今回は最初の手がかりを同じモノ系の歴史情報である絵図および地図地名情報に求めてみたいと思う

日本の歴史と文化を代表する京都には、さまざまな形のビジュアル史料が残っており
そんな絵図・地図資料には絵図・地図資料の専門研究がある
その最も有名なものが洛中洛外図であろうが、より地図性の高いものにしぼれば
それをまとめた本が今出川図書館にある
 大塚隆編集1994『慶長昭和京都地図集成』柏書房
その最初に収録されているのが『京都図屏風』
それが存在した期間の短さ故に、描かれることに稀な聚楽第が描かれている地図性の高い史料として有名
聚楽第の時期に近い江戸時代初期には、これに加えて「洛中絵図」という有名な資料があるので、それをあわせることが最も順当な探索法となる
しかるに当然その解説には、地図地名研究からの聚楽第についてのこれまでの主要な研究成果が紹介されている

櫻井成廣さんは、この図をもとに『歴史読本』1979年7月号に「聚楽第の新史料」という考察をよせ
関連資料として
内藤昌・大野耕嗣・中村利則さんによる1971「聚楽第-武家地の建築」『日本建築学会論文報告集』180号
杉森哲也1993「京の城下町化」『図集日本都市史』東京大学出版会
湯口誠一1988「町名の軌跡-聚楽第跡と上京の替地-」『古地図研究』(月刊古地図研究200号記念論集)原書房
湯口誠一1994「京都図屏風小考」『月刊古地図研究』290号
大塚隆1979「上京の古地図」『上京乃史蹟』15号
大塚隆1980「上京の古地図」『上京乃史蹟』16号
がある

そこでまずこの中から「聚楽第-武家地の建築」を田辺の図書館でたずね
電子ジャーナルでの入手を教えてもらう
中村利則さんは室町殿の邸宅復原でも有名だが
この時は名古屋工業大の学生だった
さすが建築史の専門論文だけあって、詳細な記録調査と絵図検証で聚楽第と対峙しており、必要とされる検討はすべてしつくされたように思える
なかでも図1-1-3となっている「寛永14年洛中絵図」による聚楽第跡の復原は
ほぼ先の森島さんや百瀬さんの推定復原の原型のような姿をしている
もちろんその中で、西田直二郎さんの「聚楽第址」『京都府史蹟勝地調査會報告』第1冊大正8年、およびその補遺の第2冊も参照されている
さらに、比較すべきものは無いと思っていたら、広島城が聚楽第をモデルにしたものだともいう

そんな精緻な論攷の復原案が近似した結果となった認めているのが櫻井成廣さんの聚楽第研究だった
櫻井成廣さんは哲学を専門とする学者だが
先の関連文献にある杉森さんの「京の城下町化」の参考文献として、櫻井さんの『豊臣秀吉の居城-聚楽第・伏見城編-』日本城郭資料館出版会という大著が紹介されている
刊行年は先の「聚楽第-武家地の建築」と同じ1971年である
さっそく見たいとおもって探したら、残念ながら同志社の図書館にはこの書の大阪城編しか無く、奈良県立図書情報館で発見
豊臣秀吉という人物への知的好奇心による精緻な論攷で、櫻井さんにとって聚楽第の復原はそのためのプロセスでもある
実は、聚楽第について多くの研究は、おおむねこの著作から出発していると言っても過言ではない内容の研究書である
聚楽第分間図や広島城の縄張り図を参考に、その後の聚楽第復原図の原型とも言える復原図とさらに模型もつくられている

またその後、「京都図屏風」の公開を受け、その修正案を提出されている
先の『歴史読本』と1981『戦国名将の居城』新人物往来社

ただ、もうひとつ確認しておきたいことがあった

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