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2007年3月29日 (木)

善光寺再び

去年の3月に偶然の賜から勉強するようになった善光寺門前遺跡
あれから1年経ち、再び調査の見学に急に行くことに
年度末と春休みが重なった京都駅は大混雑
ホームにあがってあまりの人の多さにびっくりして先にトイレにいっておこうと降りてきたエスカレータの下で、ひときわめだつ学長に会う
数日後は入学式だが、相変わらずのスーパー多忙人だ

以前にも書いたが、善光寺の歴史については
とくに古代について長野県立歴史館の福島さんにおせわになった
が、その時にお会いしたかった信州大学の牛山さんには機会をもつことができなかった
今回急だったが、信州大学教育学部に連絡をして
善光寺訪問のFAXをお送りしたら、タイミング良く連絡をいただき
お会いできることになった
ありがたいことである

いつになっても慣れないが、京都と名古屋の間はわずか42分である
前近代の人間から見たらワープしているようなものだろう
人間はどこまでいったら満足するのだろうか

名古屋も家族連れで一杯
おもわず味噌カツ弁当を初めて買って12時発のしなの11号に乗る

本の構想を練りながら池亭記の論文を読んでいると松本に着く
松本から長野へは筑北の山を越えることになるが
島崎藤村の木曽路にくらべればずっと空が広い
幸い今日は北アルプスに雲がかかっているいる以外は晴れ
左手に豊科の低い山並みと斜面にひろがる田圃に耕耘機がたたずむ
もう少ししたら水がはられるのだろうか

左手には犀川の浅い水面がキラキラと光を返し
その奥に安曇野がひろがり
さらにそのもっと奥に北アルプスが雄大なスケールで存在感を示す
原体験が甦ってくるのを感じながら立峠の長いトンネルをくぐり坂北にはいる
ずっと以前、大学院の頃、長野県史の手伝いで来たことがあった
村の教育長さんが軽トラで駅へ迎えにきてくれて
小学校を改造した資料館で常滑系の甕の図面を書いた
山間ののどかな村だった

高速道路と県道にはさまれて競争するように麻績の谷をぬけると
長い冠着トンネルに入る

人それぞれ、土地に入る時の印象があって
京都の玄関のイメージは多くの人が新幹線から見える京都タワーだと思う

鋤柄の場合は、どういうわけか、山科から蹴揚を越えて三条へ入るときの
あの西から見下ろした京都の姿が一番印象に残っている
善光寺を訪れる人にとってのイメージはどうかというと
坂東からの人は絶対に見ることができないが
西日本からのルートをとると
このかむりきトンネルを越えて目に飛び込んでくる千曲川と善光寺平の風景は
日本一のとてつもない感動を与えるものだと
勝手に思っている
あの姨捨である
田毎の月である
そして山国の奥に開かれた肥沃な広い平地である

前にも書いたが、千曲川がたゆたゆと中央を流れ
善光寺平の向こうには飯縄山がかすむ
なるほど善光寺平には飯縄山かと思わせる場所である
古代から中世のはじめまで松本盆地に国府があり
善光寺には実質的な幕府の出先機関だった後庁があった
ゆえ
当時の官僚達も聖山の先の猿ケ馬場峠を越えてこの風景を見たと思う
北陸経由で入ったとされる一遍も帰りは見たのだろうか
重源も見たのだろうか

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