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2007年4月30日 (月)

上醍醐

名前の一文字が同じだからと言うわけではないが、重源にこだわり続けている。
去年は高野山へ登り奈良博で重源に会った。

醍醐寺は、その重源が出家したことでも有名な寺
聖宝が東大寺の戒壇に登り、元興寺などで華厳・法相・三論を学び、葛城・大峯などで練行を積み、貞観16年(874)に笠取山の山上に観音を安置し、草庵を営んだことに始まるという。なお、笠取は醍醐天皇の外戚につながる宮道氏がおさめており、醍醐寺の発展には宮道氏の支援があったとも言われる。

Sany1327 延喜7年(907)に醍醐天皇の勅願寺となり発展。山上を中心に造営がおこなわれてきたが、延喜19年(919)に山下に宿院が造営され、観賢が開いた下醍醐の造営がすすむ
秀吉の醍醐の花見でも有名な下醍醐は、総門が旧奈良街道に面し、三宝院、釈迦堂および天暦6年(952)に建てられた国宝の五重塔などがならぶ
なお、醍醐寺のネットワークに村上源氏が多く関係していたことは、笠置の貞慶を調べていた時に知った

一方、その五重塔の南築地沿いに東へ登った上醍醐には、延命院、念覚院、持明院、北尾塔、一乗院、観音堂などが建てられ、久寿2年(1155)の記録により、多くの堂舎や僧房が建ち並んでいたことが知られる
Sany1335 現在、山頂に五大堂、開山堂、白河天皇皇后陵などがおかれ、おおきく開かれた西を臨むと、遠く巨椋から男山を見通すことができる
残念ながら、今日は重源に会うことはできなかったが
さて、ここから笠置や鷲峰山との関係をどう見ていくか


明日は明日香へ


ところで今日は初めてauの助手席ナビを使ってみた
ルート検索も音声案内もいたって良好ですぐれものだった
携帯の力は以前に予測していた以上に進んでいる

西山良平・藤田勝也2007『平安京の住まい』京都大学学術出版会
研究代表櫛木謙周2007『南山城地域における文化的景観の形成過程と保全に関する研究』

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