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2007年4月21日 (土)

善光寺の瓦を学ぶ

善光寺の瓦について、古代瓦資料の潤沢な畿内から考察を加えたものに
森郁夫さんの「古代信濃の畿内系軒瓦」『日本の古代瓦』がある

古代において寺院を造立するということは「一大事業」であり
非常に困難な工事であった
ゆえその初期段階には、仏教を受容して寺院建築をすすめていた畿内が関わっていた可能性が強く考えられるという
確かに寺院建築というものは、古代に限らず中世においても大変なことで
その象徴として重源による東大寺再見の大勧進プロジェクトが記録に残されている
また鎌倉の極楽寺に畿内の瓦が持ち込まれていることも
いろいろな解釈があるが、造営事業の大きさを示す出来事と見て良いと思う

ただし、この考え方は、先進地の畿内からそうではない地域へ新たな文化を伝えるという構図の上に成り立っているものであって、かならずしも畿内があらゆる面での先進地でもなかった可能性もいくつかの点で指摘されてきている

森郁夫さんの研究によれば
信濃における最古のものは、明科廃寺の単弁八弁蓮華文軒丸瓦とされる
この瓦は「蓮弁内に子葉を伴わないこと、弁端が角張ること、中房がちいさいことなど」
まさに飛鳥時代の特徴をもっているという
また、「弁区の外側に一条の凸線がめぐる」のも畿内でみられるという
これらの特徴から森郁夫さんは7世紀前半と断定はできないが、畿内的な要素をもったものとしている

次に登場するのが善光寺と須坂市の小河原左願寺でみつかった線鋸歯文縁複弁八弁蓮華文軒丸瓦である
同范と考えられており
それが千曲川をはさんだ東と西でみつかったことになる
また、この文様構成もきわめて畿内的だとする

その次に再び善光寺と、こんどは長野市東条東沢の窯からみつかった凸鋸歯文縁複弁八弁蓮華文軒丸瓦がある。
なお、この善光寺瓦は、この窯で焼かれたものとされている
従ってひとくちに善光寺瓦と言ってもふたつの種類のものがあったことになる

森郁夫さんは、これを年代差とするかどうか決めがたいと言われているが
中房の蓮子の状況は凸鋸歯文縁複弁八弁蓮華文軒丸瓦が白鳳の特徴が強いが
細かで密な線鋸歯文も、法隆寺式軒丸瓦の特徴に似ていると言う
なお森郁夫さんは、凸鋸歯文縁複弁八弁蓮華文軒丸瓦の系譜については
一般に川原寺系と理解されているが、川原寺式の鋸歯文縁は面違と呼ばれるもので
http://www.geocities.jp/tk_ogw21/zuiabumi.html(岐阜県瑞龍寺出土鐙瓦)
たしかにそれ以外の部位
中房の蓮子が中央の1個を中心に二重にめぐる
中央と外周の蓮子は圏線をもつ
蓮弁の様子も川原寺の特徴をよく踏襲している
で類似した特徴はあるとするものの
その同異に対する明言は避けている

したがって、この説明に従えば、これらの瓦の関係について厳密な言い方としては
様式から類推される時期はともかく
凸鋸歯文縁の瓦をもつ寺院造営の直接の系譜を
川原寺にかかわる歴史の背景とつなげて考えることは難しということになる

ちなにみ川原寺式系と言われている面違鋸歯文瓦は(未確認も含む)
栃木県下野市下野薬師寺
群馬県太田市寺井廃寺
http://www.city.ota.gunma.jp/gyosei/0100a/005/03/ota/bunkazai2_03.html
群馬県太田市萩原窯
http://www.gunmaibun.org/jiten/iseki0957.htm
福井県武生市野々宮廃寺
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T1/6%E3%83%BB7-02-02-02-04.htm
岐阜県各務原市
http://www.geocities.jp/tk_ogw21/kawaradera.html
岐阜県本巣市席田廃寺
岐阜県瑞龍寺
http://www.geocities.jp/tk_ogw21/zuiabumi.html
岐阜県可児郡御嵩町伏見廃寺
愛知県春日井市勝川廃寺
三重県四日市市智積廃寺
三重県額田廃寺
滋賀県南滋賀廃寺
滋賀県穴太廃寺
滋賀県崇福寺
大阪府海南市海会寺
大分県宇佐市虚空蔵寺跡
http://www.e-obs.com/rekisi/kodai/hakuho/hakuho-kawara.htm

ちなみに同じような面違鋸歯文でも
芦屋廃寺の面違鋸歯文瓦は法隆寺式系?
尼崎市猪名寺跡は法隆寺式系?
静岡県静岡市・東山田瓦窯2号窯は細線の鋸歯文

ところで米山一政さんの「信濃出土の古瓦再論」『中部高地の考古学』によれば
善光寺瓦は1種が外行面違い鋸歯文の陽刻で、2種が陽刻線の外行鋸歯文としているが
この1種が森郁夫さんの言う凸鋸歯文にあたるのだろうか
しかるに米山さんの説明はさらに続き第3種として「素弁式蓮華文の変化した鐙瓦」が出土しているという
それは、直径16.3㎝で、とくに周縁が広く、幅2.2㎝が素縁で、中房は比較的小さい直径4.3㎝
低い凸形で界線は無く、その内側に竹管で押した簡略式の蓮子が7つあるとう
花弁は10で各弁は先端が丸く、面も短弁で断面は低い扁平円形という
今回見つかった瓦は花弁が6つとのことなので違うようだが
善光寺(あるいは善光寺の前身寺院)の屋根を葺いていた瓦は
数種類あったことになり
それらが複数の時期の造営または補修を示すのか
あるいは善光寺または善光寺の前身寺院に関わった異なった系譜を示すのかという問題になる

8世紀に入ると上田の国分寺に代表されるような、国家の主導による寺院が造営され
そこには当然畿内の強い影響を見ることができるが
その前の時代における東国の寺院造営と畿内の影響とみられる現象についても
同じような経緯を経たのだろうか

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