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2007年4月28日 (土)

瀬戸内の西園寺

すでに網野善彦氏によって精緻な研究がおこなわれているが(1992『国文学』146)
あたらめて、平凡社の歴史地名大系をたよりに、とくに瀬戸内海沿岸にみられる西園寺関係の場所を確かめてみた
西園寺家は、鎌倉時代に多くの庶流にわかれ、公経の男実有が「一条」、実雄が「洞院」、実藤が「四嶋 (室町)」、公相の男実俊が「橋本」、実兼の男兼季が「今出川(菊亭)」を起こした。
また鎌倉時代に伊予国の知行国主となり、実衡の子という公俊は東宇和郡に下向して河野氏の女を妻とし松葉城を拠点とした

しかし、それ以外にも瀬戸内と西園寺の関係は深い

●岡山県では
◎南北条荘:岡山県瀬戸内市邑久町
 東大寺領荘園だったが、宝治2年(1248)以後に西園寺実氏が、東大寺造立のために一時的に施入されたものとして没収
◎鳥取荘:岡山県赤磐郡山陽町
鳥取庄、現御津(みつ)郡御津町東部、現山陽町北部、現赤坂町南部の一帯、建武四年(一三三七)八月、当庄などが西園寺公重に与えられ
◎阿津村:岡山県岡山市旧児島郡地区
 高野山真言宗宝積(ほうしやく)院の阿弥陀如来立像胎内に、安貞2年(1228)銘の西園寺実氏の写経
◎通生村:岡山県倉敷市児島通生(かよう)
 建武2年(1335)の後醍醐天皇綸旨で西園寺公重に安堵
△巨勢荘:岡山県高梁市
 寛喜3年(1231)高野法印貞暁から西園寺実兼の子道勝に譲られる。『吾妻鏡』「備中国多気・巨勢両庄」
△多気荘:岡山県加賀郡吉備中央町
 尊勝寺領を経て養和元年(1181)の後白河院庁下文で京都新熊野社領として多気庄。寛喜3年(1231)高野法印貞暁から西園寺実兼の子道勝に譲られる。『吾妻鏡』「備中国多気・巨勢両庄」
・このうち南北条荘と岡山・倉敷が沿岸部で、鳥取荘も吉井川を利用すれば海は近い

●広島県では
◎沼田荘:三原市が中心
 在地領主の沼田氏による寄進地系荘園で、平家没官領を経て蓮華王院が本家。承久の乱後、領家職は幕府に没収され西園寺家に移り、預所は橘氏。地頭として小早川氏が東国からやってきて在地領主化。荘域は沼田川の周辺を中心に、一部はしまなみ海道の大三島に続く島嶼部にまで及ぶ。また沼田川沿いには市がひらかれ、小早川氏による朝鮮貿易の基盤になったともいう。西部瀬戸内をおさえる最重要拠点である。

●山口県では
◎山代荘:山口県玖珂郡
 弘安2年(1279)の『勘仲記』によれば、後高倉院皇女安嘉門院邦子の所領。建武2年(1335)の西園寺家領目録には西園寺公重の知行
 中心部は岩国市北西の広島・島根県境だが、その東は広島湾に近い

●徳島県では
◎富吉荘:徳島県板野郡藍住町
 『勘仲記』弘安6年(1283)の記事によれば、本家職は後堀河天皇皇女の室町院、領家職は西園寺実氏の妻の今林准后による荘園。
◎高越寺荘:徳島県吉野川市山川町
 建長2年(1250)の記事により、綸子の母である全子(源頼朝の妹婿である一条能保の娘)とされる石山尼から九条道家の妻准后綸子(西園寺公経の娘)に譲られた荘園
△田井荘:徳島県三好郡池田町・山城町など
 建武2年(1335)、後醍醐天皇が西園寺公重に所領を安堵
◎浦荘・浦新荘:徳島県名西郡石井町
 建武2年(1335)、西園寺家領「浦庄」など34カ所が、西園寺公重に安堵
富吉荘は吉野川河口に近い左岸の町、浦荘や高越寺も吉野川下流域

●香川県では
◎富田荘:香川県さぬき市大川町
 嘉元3年(1305)の記事によれば、元来安楽寿院領だったが、亀山院の没後、安楽寿院領の本家職とは別に西園寺公衡の妹へ譲与
◎山本荘・北山本新荘:香川県坂出市
 康安2年(1362)頃、北山本新庄内の一部が西園寺家の知行
◎弘田郷:香川県善通寺市
 寛喜2年(1230)の記事から、西園寺公経(相門)が讃岐国の知行国主で、藤原定家が弘田郷を公経から知行として与えられていたと考えられている。『明月記』
◎多度荘:香川県仲多度郡多度津町
 嘉元4年(1306)の記事に安楽寿院領としてみえ、西園寺実兼息の勝宝院道意が知行主

●愛媛県では
・もとは後高倉院法華堂領だったが、嘉禎2年(1236)に鎌倉幕府が西園寺公経の強い要望で宇和郡を橘氏から取り上げ、西園寺氏領とした宇和庄(愛媛県西予市周辺)が有名。なお橘氏は、藤原純友討滅の功で宇和郡を賜ったという橘遠保の子孫。
 正安4年(1302)の室町院領目録には「一、後高倉院法華堂領」として「伊与国宇和(西園寺)庄」とあり、鎌倉末期に後堀河院の皇女室町院暉子が本家で、西園寺氏を領家とする荘園とみえる。
建武2年(1335)に後醍醐天皇が西園寺公重に所領を安堵した史料には、伊予国宇和庄・宇摩庄。その後西園寺公良が永和2年(1376)に宇和郡に下向し、宇和町山田・西山田の山田御所に「西園寺御方御所」がいたとされる。また在地領主化する中で、岩瀬城(宇和町下松葉)を本城とした。
 なお、ほかに伊予の荘園としては、覚園寺領西条庄、東寺領弓削島庄、醍醐寺領大島庄、後宇多院領高田庄、長講堂領忽那島庄、東福寺領吉原庄、石清水八幡宮領神崎庄、石清水八幡宝塔院領玉生庄があった
◎願成寺:愛媛県西条市丹原町
 寺伝によれば延慶元年(1308)の開基。天台宗寺門派に属したが、文中元年(1372)に西園寺公俊が臨済宗に改めたとされる。
・三島神社:愛媛県西予市宇和町松葉町
 承平6年(936)に藤原純友の乱に際し、河野好方が三島神社の加護として同地に勧請。嘉禎年間(1235~1238)以降は西園寺氏の産土神。
・三島神社:愛媛県西予市野村町野村
 建久3年(1192)宇和郡地頭の橘公業が開基。嘉禎2年(1236)以降は西園寺氏に保護された。
・等妙寺:愛媛県北宇和郡鬼北町芝村
 開基は元応2年(1320)。西園寺宣房の庇護を得る
・立間郷:愛媛県宇和島市吉田町
 元徳2年(1330)に西園寺氏の家臣で立間郷を所領とした開田善覚。
 永享10年(1438)の『管見記』に立間殿西園寺氏の立間中将西園寺公広が登場
・南方殿一族:大洲市
 暦応3年(1340)の記録に、宇和郡西園寺大旦那の下とみえる。
・来村郷:愛媛県宇和島市
 暦応3年(1340)の記録に、西園寺氏配下の在地領主として亀が淵城を本拠とした「来村殿」
・興隆寺:愛媛県西条市丹原町
 正平23年(1368)に権大納言西園寺氏が寺領を安堵 
・常定寺:愛媛県西予市宇和町常定寺村
 西園寺氏の帰依を得た名刹で、明徳3年(1392)以前の建立
・松葉城跡:愛媛県西予市宇和町下松葉村

西園寺と西伊予の関係については、その前代に西部瀬戸内をおさえた藤原純友が宇和島沖の日振島
を拠点としたと言われていることや、河野氏との関係についても、また先にみた沼田荘の役割についても、すでに網野氏が指摘しているように、瀬戸内の海上交通に対する意識を読み取らざるをえない。
瀬戸内と中世の遺跡の研究の蓄積を背景にした、新たな視点と先学の研究との有意な対話は、まだこれからの大きな研究課題として残されている

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