« 岡本東三さんに学ぶ | トップページ | 瀬戸内の西園寺 »

2007年4月23日 (月)

依智秦氏の里古墳公園

Dsc00686 名神高速道路を八日市インターで降りて、最初の交差点を右にまがり
多賀大社の案内板の立つ数キロ先の交差点を左折して約5キロ北へ走り
宇曾(うそ)川を渡ったところに依智秦氏の里古墳公園の標識がある
立派な標識で右へ行け

なっているが
どこへいくのだろうかと思いつつ通り過ぎてしまうような細い農道に思い切って乗り込むと
その先に古墳時代後期の群集墳が現れる
群集墳と聞くと、丘陵斜面に累々と築かれるイメージが強いが
ここの場合は、宇曾(うそ)川右岸の平坦面に累々と築かれていてとても不思議な風景である
これは百済で見てた風景に近いのだろうか
元々は298基あったが、現在は17基
内部主体は横穴式石室であるが、普通の横穴式石室以外に、玄室が羨道より低く階段をもつものがあり、これは百済系の人々に関係するものと考えられている

この古墳公園の北に湖東三山のひとつに数えられる金剛輪寺がおかれる
天台宗で本尊は聖観音
寺伝によれば、聖武天皇の勅願で天平年間の行基が開山という
行基が彫ったと伝わる本尊の木造聖観音菩薩像は秘仏で「生身の御本尊」と呼ばれる
古代の動向についてはよくわかっていないが
7間四方の本堂は弘安11年(1288)に再建され、三重塔は寛元4年(1246)に建立されている
また13世紀の不動明王や四天王立像などあり、鎌倉時代に入ってからの繁栄を知ることができる
なお、室町時代には六角・京極氏をはじめとする武士層から多くの支援を求められたが
争いに巻き込まれることなく、江戸時代には家光から寺領30石の朱印状をもらっている

この地域は、古代に秦氏が居住していたところで、現在ボストン美術館が所蔵する金剛輪寺旧蔵の金銅聖観音像の銘文(文永6年)には「近江国依智郡之内松尾寺本堂奉安置之右志者、為願主犬上利吉並芳縁依智秦氏子孫繁昌現世安穏」とあり、その姿をうかがうことができる
南には百済寺、北には東大寺領水沼荘と敏満寺遺跡と多賀大社、その先には彦根
そして南西には安土が位置する

湖東の中でも水陸交通の要衝であり、かつ豊かな耕作地に恵まれていた場所である

« 岡本東三さんに学ぶ | トップページ | 瀬戸内の西園寺 »

善光寺」カテゴリの記事