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2007年5月22日 (火)

京の鎌倉または京の周縁をめぐる

最近、西園寺公経と北野天神と後鳥羽のことをずっと考えており
学際科目で西園寺の北山第の話しをした週末に
T大の中世史の方々と一緒に京の鎌倉をめぐる
北大路の駅で落ちあって、まずは船岡山から
意外と知られていないが、船岡山は岩山である
しかも北大路側からいけば、道なりに気がつかないうちに坂を登っていった先になるので
ちょっとした丘のように思ってしまうが
南側から登ろうとすれば、急でしかもかなりの比高差があって
おまけに山頂に近づくと片岩系の岩盤があちこちに顔をだしているので
場所によれば、ちょっとしたロッククライミングの雰囲気を感じることもできる
この比高差は、東の峰に建つ建勲神社の石段をおりる時も実感できる

船岡山を東におり、大徳寺を左手に見ながら少しいったところが雲林院である
ただし、ここは後に移動してきたところで、平安時代の雲林院は北大路をはさんだ北側にあったとされる
竹居先生の授業をひけば、このあたりは一般には紫野と呼ばれているが、ひろい意味では北野と呼ばれた平安京の北の一帯で、平安京と異界との境界領域であり、かつ天皇の離宮などがおかれた静かな地だったらしい
菩提講が有名な雲林院は、淳和天皇離宮の紫野院で、天長9年(832)に雲林亭と改称され、仁明天皇から皇子の常康親王に伝領され、親王が出家後、遍昭によって元慶8年(884)に元慶寺別院となったという。
京の周縁である

この雲林院のすぐ南にその京の周縁を象徴する神社がふたつ
ひとつは今宮神社の御旅所で、もうひとつが玄武神社
前者は平安京の北の御霊の象徴で、後者は平安京の北の祀りをそのものズバリと示す
注目されるのは、これらの寺社をつなぐ南北の軸が大宮通の延長線であること
竹居先生の平安時代の北野の風景では、もうひとつの象徴として現在の北野天神の東を南北に走る右近馬場(現在の御前通)が登場したが、そこは実は西大宮通の北への延長線である
大宮大路の東と西の延長はそれぞれ意味があったと言えるのだろうか

大宮通にもどって南へ
鞍馬口をすぎるとすぐに安居院である
唱道で有名な安居院についてのエピソードですぐに話しがはずむところはさすが専門家
大宮を下がって寺ノ内を西へ入ると櫟谷七野社
さらに大宮を下がって上立売のあたりが芝薬師
ここも後鳥羽関係だがうっかり失念してそのまま五辻へ
景愛寺と無外如大尼の話やら二条の話しやらをしながら五辻をうろつくあやしい集団

やはりここも見てもらいたいと、西陣の千両ケ辻の話しをしながら京都市考古資料館へ寄る
しばし見学の後、再び浄福寺通にもどり首途八幡から本隆寺へ
千代の井を見て五辻殿へ
日本建築風のすてきなマンションの前で記念撮影
ゆっくりまわっていたらもうすでに4時をまわる頃
これはいけないと少し急ぎ足になって石像寺
鎌倉にちなむ桜を求めて引接寺
しかし大報恩寺に着いたときにはすでに5時で門が閉まっていてしまった
北野天神は大丈夫だろうと思い
右近馬場を横目で見ながらすっかり人気の無い境内に入ると
やはり門が閉められ始めている
お土居を遠くに眺め、伴氏の社を過ぎた先の東向観音寺で巨大な五輪塔を拝んだところで
本日のコースはほぼタイムアップ
それでも紙屋川から北野廃寺を見ようと今出川通へ出たら
大将軍八神社が近いことに気づき
一条の妖怪ストリートを通りながら洛中へもどるところで初日が終わる

引接寺でお盆の精霊迎えを見ていたら
京都でもうひとつその有名な場所が六道珍皇寺であることに気づき
安居院の近くの地名に似た地名がやはりその近くにあることにも気づき
急遽翌日は室町殿から六波羅へ向かうことに
団栗橋の西で車を降り
人気の無い建仁寺を通り過ぎると鎌倉時代にさかのぼる勅使門の掲示が見える
おっ 京都市内に残る鎌倉時代の建築物は大報恩寺以外にここにもあったかと
一説に寄れば平家の六波羅邸の遺構とも伝えるが不詳とのこと
この勅使門をでた東西の道が八坂通で、東の突き当たりに法観寺が見える
その南の通が清水へむかう梁塵秘抄に登場する松原通
六道珍皇寺は、この二本の道にはさまれて、建仁寺の少し東よりにおかれる
目印はすぐ南の六原マーケット
そうここがあの六波羅の北の入り口になる
珍皇寺でふたたび小野篁と閻魔大王に会い、冥土通いの井戸を拝み
門前の六道の辻から六道大路をながめる
ちなみに家々の門前に貼られた恵比須神社のお札は建仁寺の西におかれた恵比須神社のもの

六原マーケットの文字にさそわれて南へむかう路地に入ると
そのあたりはまわりから一段高い平坦面
あたかも平家の館があったかのように
南へ降りれば六波羅蜜寺と三盛町、門脇町、池殿町といわくありげな地名が続く
ちなみに、その北西に北御門町と西御門町があって
その西は川原町となっている

五条大路を渡って渋谷通へ行こうと東へ向かう途中に若宮八幡がある
ここは元六条佐女牛井にあった若宮八幡だとのこと
最初の源氏の拠点におかれたその象徴である
境内をひとまわりして不思議な遺構について話しを交わし
東山を南へ渡って渋谷通との交差点の馬町へ
かつてこのあたりに善光寺式三尊ほかをおさめていた十三重石塔があったという
今は京博内
鎌倉と深い関わりのあった善光寺聖を思わせるとてもいわくありげなエピソードである
そのまま渋谷通を西へ降りていき
大和大路の交差点で、西へ下がる大きな斜面を見る
ここから西は鴨川の氾濫原で、大和大路はその東際を通っていたことになる
そしてここが六波羅の南西の角になる
さらに付け加えれば、ここから南は法住寺街区の領域になってくる
今の風景の向こうに、院政期から鎌倉時代にあった大邸宅街が見えた気がした

最近とくに言っていることだが
鎌倉時代の京都は七条を中心とした場所と持明院通を中心とした場所のふたつの拠点によって特徴付けられる
今回めぐった北野界隈と六波羅界隈も、実はそのそれぞれ西と東への延長部にあたり
その意味でこれまで言ってきたことをさらに補強することになりそう
さらに、あまり注目されることの無かった鎌倉時代の京の伝統が
お盆の精霊迎えの儀式として千本閻魔堂と六道珍皇寺に残っているとしたら
これは京の鎌倉を見直す思いがけないひろいものではないかとも思う
たくさん歩いてたくさん飲んで
小野篁に誘われたような非常に刺激的な2日間だった

豊島区教育委員会2007巣鴨町9
東京大学埋蔵文化財調査室2006工学部14号館地点
東京大学埋蔵文化財調査室2006東京大学構内遺跡調査研究年報5
三枝暁子2007「神人」『寺社をささえる人々』吉川弘文館
三枝暁子2007「北野祭と室町幕府」『中世の寺院と都市・権力』山川出版社

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