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2007年6月

2007年6月28日 (木)

2007年度 中世都市研究会「開発と災害」へのご案内

東大の高橋慎一朗さんから
2007年度 中世都市研究会「開発と災害」へのご案内をいただきました
中世の地域社会とはどんな風景だったのか
中世の地域社会ではなにがおこっていたのか
マクロ的な視野とミクロ的な分析の交錯する議論が期待されます

期   日:2007年9月1日(土)・2日(日)
研究会会場:東京大学工学部2号館213教室(当日、赤門・正門にてご案内いたし
ます)
◎最寄り駅  本郷三丁目駅(地下鉄丸の内線)
湯島駅又は根津駅(地下鉄千代田線)
東大前駅(地下鉄南北線)
参 加 費:4000円(中世都市研究最新号「都市をつなぐ」と当日配布資料代金
を含む)
当日、受付にてお支払いいただきます。
懇親会会場:学士会分館(大学敷地内) Tel 03-3814-5541
懇親会費 :5000円
司   会:小野正敏(国立歴史民俗博物館)・中澤克昭(長野工業高等専門学
校)
問い合わせ先:株式会社 新人物往来社 酒井直行
東京都千代田区神田錦町3-18-3 錦三ビル
Tel 03-3292-3971  fax 03-3292-3972
Mail : sakai@jinbutsu.jp


申込方法
電子メールまたは郵送にて、必要事項を記入の上お送り下さい。
なお、7月27日までとさせていただきます。
(1)  氏名 
(2)  住所 
(3)  電話番号 
(4)  E-mailアドレス 
(5)  所属 
(6) 懇親会の出欠 
(7) 9月2日(日)昼食用弁当(1000円程度)の予約の有無
(会場周辺には飲食店が余り多くありませんので、ご予約をお勧めします)
(8) 来年度以降の案内の必要の有無

【電子メールの宛先】toshiken@jinbutsu.jp(申込専用)

【封書の宛先】   〒101-0054
東京都千代田区神田錦町3-18-3 錦三ビル
新人物往来社内 中世都市研究会事務局



ご注意
◆9月2日(日)の昼食は事前にお申し込みの方にお弁当(1000円程度)を準備
いたしますので、必ず予約をして下さい。
会場周辺にも食堂やコンビニはありますが、十分とはいえません。

◆会場には駐車スペースがありません。
できるだけ公共交通機関をご利用のうえご来場下さい。


当日スケジュール 

9月1日(土)
12:30 開場

13:00 問題提起●五味文彦(人間文化研究機構)

13:30 第一部  環境と開発――河川との関係を意識して――
□中世武蔵国における宿の形成    
落合義明(東海大学)
コメント●齋藤慎一(江戸東京博物館)
□中世北陸の港町と災害―砂に埋もれた町場と市庭―   
垣内光次郎((財)石川県埋蔵文化財センター)
コメント●飯村 均(福島県文化振興事業団)

15:10 休憩

15:20 □『越後国郡絵図』にみる河川・潟・橋と町   
福原圭一(上越市公文書館準備室)
コメント●伊藤正義(鶴見大学)
□中近世移行期における都市景観と自然地形          

山村亜希(愛知県立大学)
コメント●小島道裕(国立歴史民俗博物館)

17:30 懇親会 

9月2日(日)
9:30 第二部    災害と飢饉
□中世都市奈良と火災       
佐藤亜聖((財)元興寺文化財研究所)
コメント●安田次郎(お茶の水女子大学)
□鎌倉と災害              
高橋慎一朗(東京大学史料編纂所)
コメント●河野眞知郎(鶴見大学)
□応仁の乱への道―牢人・流人・足軽・飢饉―       
早島大祐(京都大学)
コメント●水野章二(滋賀県立大学)

12:00 昼食

13:00 論点整理

13:15 シンポジウム(司会進行●中澤克昭・小野正敏)

15:00 閉会

2007年6月24日 (日)

西陣探索

天気予報がめずらしくあたり、京の町は雨にくすんでいた
上京歴史探訪館歴史講座のオプショナルツアーである西陣探索当日がやってきた
余談だが、最近の天気予報は当たるときは当たるが
その日の直前まで予報がよく変わると思う
情報が膨大になって、予報の精度が高くなってきていることが
結果として間際までの予報の微調整を生み出しているのだろうか

ホームページの予報をみれば、この日の京都市内はほぼ確実の雨
午前中に設定したスタッフの集合時間は、一時土砂降り
けれども、衛星写真をみたら、瀬戸内海東部は雲が薄い
このまま素直に雲が動いてくれれば、町歩きの時間帯は小雨の可能性があると見て打ち合わせに入る
案内人は西陣マップを製作した学生くんたち
メールでおおまかな予定を断続的に送っていたが
皆、それぞれの役割を自覚して準備に余念が無い
さすがに上回生にもなると違ってくるなあと感心

西陣織会館での説明を終えて晴明神社へやってくると雨が強くなる
やむなく休憩所にかたまってNさんの説明に鋤柄の西陣の歴史の説明を加える
Nさんの芯のしっかりした通る声が雨の音に勝って響く
一方鋤柄の説明した西陣の起源はなかなかややこしい
配付資料を参考に古代にあった2つの流れと室町時代から江戸時代への移り変わりを話したが雨の音に負けそうだった

少し小降りになったので元誓願寺通を西へ向かい大宮へ
千両ケ辻から五辻へ上がり智恵光院から雨宝院へ
Mさんお気に入りの雨宝院は、とても雨の似合うお寺で
うっそうと茂る木々の葉が少々の雨は防いでくれる
Mさんの思い入れたっぷりの話しに堪能して
これもまた現地をまわる臨場感の強みかと

時間がおそくなってしまったが
鎌倉時代の北野を象徴する石像寺と引接寺をめぐり
千本今出川へ
ここから南が有名な日本のハリウッド
そしてNさんの登場
今はその面影を探すことの困難な中
Nさんが調べてきた映画作品に登場する西陣に一同感嘆する

このツアーに参加した人は皆京都市民でほとんどが上京のひと
大学のすぐ近くお住まいの方や
なんと京都検定1級をお持ちのかたも
そんな方々を相手にして
さすが同大生
やるときはやります

2007年6月14日 (木)

寒梅研究会のブログが更新されました

寒梅研究会のブログが更新されました
松本さんご苦労様です
ぜひ皆さん御覧頂ければ幸いです
http://kambai.blog103.fc2.com/blog-entry-3.html#more

本日の格言「R一本あれば良い」
詳細はいずれ

2007年6月 6日 (水)

続 上醍醐

再び上醍醐にのぼる

前回は五大堂と開山堂と如意輪堂と上醍醐陵をめぐったが
今回はその下におかれている国宝の薬師堂から醍醐水をめざす
五大堂から矢印にしたがって道をくだると
最初のカーブに町石と地蔵の祠
そこを左に折れるとすぐ先が薬師堂

古代の山岳寺院にはめずらしく
尾根の先端を削りだして平坦面をつくり
その上に堂舎が築かれている
そしてその続きの尾根の下に建っていたのが重源にゆかりの経蔵
現在は礎石がならぶ遺跡となっている
これはめずらしい風景かと思ったが
地図を見れば、その南は大きな谷が沢ぞいのびており
その先には「別所」「岩井谷」「西ノ谷」「土井谷」「堂ノ元」といった
いわくありげな地名が続き、沢は現在の天瀬ダムのすぐ下で宇治川に合流している
この合流点から少し宇治川をさかのぼれば宇治田原への道につながるので
この風景もいたってふさわしい風景ということになる

ということで、この谷を登った一番上の谷奥の平場につくられたのが
本堂にあたる准胝堂で
その真下に置かれているのが醍醐水井戸となる

醍醐水井戸は、貞観16年(874)に醍醐寺開創の草庵が結ばれたところで
開山の聖宝理源大師が霊示により感得したという
両側を尾根にはさまれた谷の中央にひらかれた平場にたち
うっそうとした森がそれをとりかこむ

左手には、これも国宝の清瀧宮拝殿
森先生が指摘するように、清水も石清水八幡宮も
水と山岳信仰は密接な関わりがあり
上醍醐の場合も見事にそれを現している

醍醐水からの下りは、長い長い石段と坂道
途中から緑泥片岩の巨大な岩盤が下醍醐へ注ぐ沢を導く
秀吉の醍醐の花見で有名な千畳敷きまでおりると
道は稜線をはずれて女人堂まであとすこし

子供からお年寄りまで多くの参詣の人たちと出会い
あらためて醍醐と重源の魅力に触れることができた時間だった

2007年6月 5日 (火)

寒梅研究会:谷口君の巻

寒梅研究会の第1回報告は谷口君
テーマは卒論の資料を元にして
問題の所在の枠組みを西園寺氏においたもの
遺跡情報と文献史研究の成果の融合に大胆に踏み込んでくれた
菱田さんも言っていたがマクロ的な視野とミクロ的な視野の融合もはかられていた
これまでこのテーマにとりくんでいたのは実は網野善彦先生のみ

もっと早く考古学の人間が取り組んでも良いところだったが
遺物研究へのこだわりと文献史研究をふくめた総合的な見方には慎重な姿勢であることが求められた時代が長く
なかなかこういった視点での研究が登場することはなかった
もちろんそれらの融合がただのあてはめや予定調和になってはいけないので
個々のデータの精査な解釈と融合に際しての因果関係の合理性には注意しないといけないが
谷口君の報告を聞きながら
一瞬ではあるが、かつて日本考古学史の大きな転機となった
高松塚の被葬者論争を思い出して少し心が震えた

来月は松本さんの報告とあわせて、谷口君の昨日の報告の一部について
菱田さんの専門分野と鋤柄の専門分野の協業もあわせた
重層的な歴史情報の地理情報的なアレンジの実験も行われる予定

詳細はこちらまで
http://kambai.blog103.fc2.com/

2007年6月 1日 (金)

善光寺再び

長野市の善光寺の調査で再び動きがあった
長野市埋蔵文化財センターの発表によれば
3月の調査で見つかっていた瓦のうちのひとつが
滋賀県の愛荘町を中心に、岐阜県や福井県などの限られた地域でみつかっている
「湖東式」と呼ばれる瓦にきわめて類似しているとのこと
SBCのホームページ
http://www.sbc21.co.jp/news/index.cgi?page=seventop&date=20070531&id=0121441&action=details
信濃毎日新聞社のホームページ
http://www.shinmai.co.jp/news/20070601/KT070531FTI090006000022.htm

小笠原好彦さんの研究によれば
「湖東式」の瓦は朝鮮半島から畿内を経由せずに入ってきた文化の可能性があるという
善光寺平には、すでに弥生時代から朝鮮半島との独自のルートがあったことも考えられているが
この瓦の発見は、そういった善光寺平がもっていた特殊な状況を一層強く示すものとなる可能性がある
そして慎重な検討を進めないといけないが、その話題の中心に位置するのが言うまでもなく善光寺である
古代と中世における善光寺史研究が大きく一歩踏み出した手応えを感じる

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