« 葛飾区郷土と天文の博物館と鬼塚遺跡と | トップページ | 善光寺平の古代を考える2 »

2007年7月26日 (木)

横道遺跡と千光寺跡

博物館実習の関係で昨日は城陽市の歴史民俗資料館へうかがい
今日は四条畷市の歴史民俗資料館をうかがう
学生君たちにとっては博物館の実際を社会の中で体験するきわめて重要な時間
そして考古学や歴史研究が社会の中で果たす役割を大学が行政の研究機関と一緒に考える重要な機会でもある

ちょうど城陽市では横道遺跡の古墳の調査の発表がなされた時
南山城を代表する久津川古墳群についてまた新しい情報が加わった
どこでも同じ重さをもっているが、やはり久津川古墳群が南山城の古代を考える時にとくに大きな意味をもっていることは誰もが認めることであろう
その意義と意味については、これまでの先学の努力によって社会に還元されてきたが
ここを訪れることによって、その今をリアルタイムで体験することになる
これまでの学史に学びながら、そんなリアルタイムの情報をそれに盛り込むことで
さらに新しい南山城の古代を物語る努力がもっともっといる
という話を一緒にしたあと
今出川へ向かう

四条畷の資料館は東高野街道に面する住宅街にある
すこし北へいくと清滝の道が河内と大和をつなぐ
大阪時代、主に大阪市から南部の調査を担当していたために不勉強なことが多い
いつもお世話になっているNさんにご案内いただき少しだけ展示を見学
前回も不勉強なまま清滝の遺跡の遺物を見せていただいて
あまりの不勉強さにショックを受けてしまったが
今回も千光寺跡(寺口遺跡)という、またまたショックな遺跡をみせていただいた
場所は上田原という生駒市との府県境に近いところ
南に田原対馬守を主とする田原城があって、戦国大名の三好長慶が1560年に入城した飯盛山城はその西
田原城の本丸跡の周りには濠と自然河川がめぐり、北には清滝街道がはしっている
城主の田原氏は、鎌倉時代にさかのぼる記録をもち
その頃の館は、田原城の北の正伝寺西の古城と呼ばれる台地にあったと考えられている
千光寺はその田原氏の菩提寺とされている寺で地名と口伝以外はまったく情報の無かった寺だった
1994年におこなわれた調査の結果
「千光寺」と刻印された瓦がみつかり、五輪塔や埋甕をもった多くの墓がみつかり
鎌倉時代の墓の貴重な資料となっている
驚いたのは、そういった中世前半の稀な墓遺構とともにみつかった陶磁器の種類
完形の青磁袴腰香炉は鎌倉の円覚寺と同じ物
青白磁脚付小壺もきわめて稀
古瀬戸の手付水注も古瀬戸前期だろうが、長野の調査で大昔に見た以来
さらに東播の甕と鉢と古瀬戸の手付水注がセットでみつかっている
極めつけは6号墓の常滑窯甕
なんと、口縁部上面に浅い沈線がめぐるという12世紀の古い時期のもの
こんな古い時期の常滑甕の、しかもほぼ完形に復原されたものは大阪では見た記憶が無い

もっともっと見て歩かないといけないと実感しながら
今日も今出川へ向かう

« 葛飾区郷土と天文の博物館と鬼塚遺跡と | トップページ | 善光寺平の古代を考える2 »

遺跡の見方」カテゴリの記事