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2007年7月 8日 (日)

春鶯囀あるいは笛吹川で京都に浸るの巻

毎年この時期は山梨にある帝京大学文化財研究所で考古学と中世史の研究会がおこなわれている
その業績は大きく、この分野の研究を推進する大きな原動力のひとつとなっている
ただし西日本からの場合、交通の具合が中央線か身延線経由となるため
少々時間がかかりあまり行く機会は多い方でない
今年は宴会をテーマにしたシンポジウムであるが
中世京都では、かわらけ(土師器皿)を考える際に避けて通りことができない話題でもあり
昨年にひき続いて笛吹川へ

春学期が終了間際で学生さんたちがまだ動き出していないため
新幹線も中央線もそれほど多くの人はいない
8時6分の新幹線に乗って以後
乗り換えの時間以外はR6で来週の静岡での講座資料をつくり続け
12時をまわってまもなく甲府に着くが
バッテリー表示はまだ2時間の使用を可としている
さすがのレッツノート

塩尻はおだやかな薄曇りの日差しのもと
ラベンダーのきれいな紫が線路の向こうにひろがっていた
日帰りハイキングの一団が賑やかに1本前の各駅停車で東へ向かう
こんな当たり前の風景に気づかされ嬉しくなる

今年のテーマは「宴の中世」
というわけだからではないと思うが懇親会はこの数年で一番の盛り上がり
去年の鎌倉以来のたくさんの人にも、それ以前に遡って久しぶりの人たちにも会って、昔と今の関心を交錯させて盛り上がり
ただし今回はK大院生のMさんも一緒なので
いつも以上に注目を集めてしまったかも
もちろんシンポジウムの内容も大盛り上がり
そして例によって議論は結局日付が変わるまで

2日間共に興味深い報告が続く中
話題の大きな中心は、京都を意識したかわらけの意味と足利将軍御成の記録
卒論で京都の土師器皿の編年と式三献の関係をあつかい
現在は寒梅館の発掘調査の関係で室町殿ととても近い関係にある身にとって
「現地の様子はどうなっているんだ」と四方八方からせめられているような
自意識過剰な気分になって内心オロオロドキドキ状態

羽柴さんの報告を聞いていてあらためて思ったのは
すでに以前に書いているが、東日本で注目されている京都的なかわらけの大量一括廃棄が、実は京都では同時代現象としてはあまり見つかっていないこと
もう一度調べ直さないといけないが
以前の記録ではそういった出土状況がみつかるのは14世紀代が一番多かったと思う
だから昔からこのことを聞きまた目にする度に、平泉や鎌倉や御所ノ内では具体的などんな風景が繰り広げられていたのだろうかとずっと思っていた

平泉や鎌倉の時代と言えば
京都では院政期もその最盛期を過ぎた平安時代末期
その頃の中心地は後白河の法住寺街区か
宇治なら忠実の晩年から頼長または忠通の時期で
少し新しくなれば七条町の時代にあたる
そういった出土状況が無いわけではないだろうが
気づかないか目立たないだけだろうか
少なくとも七条町では見ないし、同時期の八条院でも気づかない
一方これらの時代に近くてそういった儀礼を確実におこなっていて最も情報量の多いのが鳥羽だが
ここではそれこそ瓦ばかりが出る状況
あれだけ調査面積の多い金剛心院でも同様

そうなると、平泉や鎌倉や北条の御所ノ内遺跡の状況というものは
きっかけかあるいは手本は京都の儀礼だったかもしれないが
(ちなみにすでに公表しているように、その背景に白山日吉神人の存在を考えているのが持論のひとつ)
それは実はきっかけか手本であって、平泉や鎌倉や御所ノ内の状況は
そのきっかけか手本を、きわめて東国的な文化の中で著しく増幅した姿だったのではないだろうか
とも思ってしまう
ただしこの問題は、すでに書いているように、それが12世紀を起源とするものではなく10世紀後半を起源とする可能性があり、その場合はもう少し考え方を整理する必要がある
いずれにしても平泉や鎌倉や御所ノ内の状況が京都のどこでどのように見つかっているかの検証を、こちらの仕事として真剣にしなければならないと痛感

もうひとつは桜井さんの報告にあった「助成」
これまで何度も言ってきたが
寒梅館地点でみつかったのは義晴の代の遺構と遺物
不思議なくらいに義満・義政・義教の代の遺構も遺物も見つからなかった
(厳密に言えばそのいずれかの時代に伴う石組み水路遺構は見つかっている)
その理由は室町殿の数奇な運命から説明してきたが
簡単に言えば、邸宅の移転にともなって、その度にきれいに引っ越しをしたのだろうということ

よって、実際の室町殿跡では足利将軍家がおこなっただろう宴会の痕跡も見つかっていないのだが
桜井さんの話にあった「助成」とは
宴会に必要な室礼や備品が、当時から流動的な
いわば会場準備的な状態だったということなので
遺構や遺物からその痕跡を探すことがきわめて難しいということは
やはりけっして不思議ではなく、当たり前のことだということになる
遺跡で見つかるもののほとんどは本来の役割を終えた状態のもので
それらが本来機能していた時の状態がわかりにくいことが多いのだが
その意味を考える際にとても参考になる事例ではないだろうか

そうは言っても室町殿の故地をキャンパスにもつ大学の関係者として
それだけではすまされない責任感も感じるので
そのことも含めて今回のシンポジウムは
京都で中世史に関わる者全体に大きな問題提起を与えてくれたものと思う
文化情報の学生君たちもどんどん参加するようになってほしい
今回もまた多くの仲間に感謝をしつつ
ただし学生君たちの前ではあまり昔話をしないように願いながら
日々是勉強

甲府駅前の「小作」で「ちゃんぽんほうとう」を食べ
例によって身延線に乗る
まもなく富士宮
そういえば次の土曜日もまた静岡から新幹線に乗る予定だったと
横地遺跡群の資料に目を通しながら頭を抱える

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