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2007年7月15日 (日)

静岡地域講座

台風が九州に上陸しようとしている山鉾巡行の3日前
三連休の初日にビジネスで新幹線の改札を通るのは
逆に迷惑かもしれないと思いながら新幹線のコンコースに入る
コンチキチンの音楽は流れているもののあまり旅行者は多くない
博多からののぞみはやはり20分程度の遅れがあるというが
今回は行き先が静岡なので、新大阪発のひかりは定刻通りに京都駅を出る

校友課の企画による大学の地域講座が静岡市でひらかれる
静岡は、伊豆の韮山へは何度か行っているが
静岡市は2度目だと思う
ただし中世の静岡は、一の谷墳墓群や元島遺跡や菊川の遺跡群など
注目すべき遺跡が多くある
もちろんあの有名な登呂遺跡も静岡

今回は京都の中世の話が中心になるが
森先生の教えにしたがって地元の遺跡の話もと思い
台風の関係で1本早めた時間をつかって駿府城と浅間神社脇の文化財資料館へ行き
ケイセイ遺跡の墳砂のはぎ取り断面をメモする
以前から気になっていたのだが駿府城の平面形はとても不思議な形をしており
Dsc01107 本丸・二の丸と三の丸は軸が違い、その周りにひろがる平野の地割りも異なった軸をもっている
それがなんなのかずっと気になっていたが
しっかり調べないままに今日まで来た
そんな中、静岡を訪れたので、せめて本物だけでも見ようと
雨の中駿府城まで歩いたという話を枕に
足で稼いだ京都の町の歴史を語る

室町殿と持明院御所の話をして
さて、しかし京都の鎌倉時代の風景はこれだけではないと
平安京と貴族文化を源流とする風景とは違った風景がこの時代に登場すると
それは言うまでもなく六波羅
三盛町は泉殿で清盛、池殿町は頼盛、小松町か小松谷は重盛と
平家全盛期の拠点がよみがえる
そんな六波羅の特徴がなにかと言えば起伏のある地形
体で感じることのできる京の鎌倉である
言うまでもなく関東武士の拠点に共通する谷戸の風景であろう

先週山梨で歴博の小野さんとも話をしたが、静岡で言えば、菊川市の横地遺跡群の風景がこれに通じると思う
場所は東を大井川、西を磐田にはさまれた遠州灘からやや奥へ入ったところ
伝説によれば、八幡太郎義家につながる名族の横地氏は
15世紀後半に今川氏に滅ぼされるまで、ここを拠点に活躍したという
その背景には海上交通の難所である遠州灘と陸上交通の難所である菊川上流をおさえたネットワークの支配者の姿があったのだろうか
京都の鎌倉時代は人の姿も都市の姿もコラボレーションそのものだったと言える

そんなことを物語りながら、余談で浅間神社の賤機山古墳の話もしながら、多くのOB・OGと懇談をして帰りの新幹線に乗る
途中で懐かしい人にも会えた
雨は強く災害が心配だが、ダイヤの乱れは今のところ無い

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