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2007年8月17日 (金)

京都府速報展と嵯峨野

最高気温が38.6度となった16日
向日市文化資料館で開催中の京都府の遺跡調査速報展を見学
丹後では梁塵秘抄でも有名な宮津市の成相寺旧境内の完形の青磁碗と難波野遺跡の鎌倉時代の建物跡と古墳時代の祭祀遺物
丹波では丹南市八木町の野条遺跡で白磁碗2類と瓦器碗と石製分銅が出土、建物は南北にならび、区画する溝が東西方向に掘られているとのこと。宿か居館か。亀岡市の国分遺跡では八角形墳の可能性のある国分45号墳が、銀装大刀も。
山城では大山崎の境野1号墳で古い型式の家形埴輪が、八幡市の木津川河床遺跡で琴柱形石製品が、京田辺の薪遺跡で4期の埋没古墳と7世紀末の土器や円面硯や蛇尾や。継体の宮があったと考えているところなのでおそらく6世紀から8世紀にかけての遺跡がみつかったことは重要。井手町の井手寺跡では200m以上にひろがる大規模な建物が、木津川市の高麗寺からは土師質の鴟尾とこれぞ川原寺式の面違鋸歯文の瓦が実見できる。
こういった速報展は滋賀県でも大阪府でもおこなわれており、とても意味のある企画だと思う。関係の皆さんは調査と併行してとても大変だと思うが、ぜひ頑張って続けてほしい。

向日市を出て桂から嵐山へ向かう
途中松尾で降りて松尾大社へ
鳥居をくぐり、楼門の脇に豊かな水量の溝がある
山上にご神体の磐が鎮まるがまたの機会として阪急にもどる
今日は送り火の日で、嵐山では灯籠流しもおこなわれるという
0816sagano ただし、さすがに真夏の京都に団体の観光客はほとんどみられず
家族連れとカップルがほとんど
法輪寺の舞台で嵯峨野から京都タワーまでを見渡し、天竜寺の向こうに見える亀山に感激しながら渡月橋へ
橋を渡ったところの交差点に三条通という表示をみて亀山殿を偲んで天竜寺の庭をめぐり
天竜寺から北へ行った交差点で丸太町通の表意を見ながら源融を偲んで清涼寺を訪れ
一条通の表示を北へ曲がって嵯峨天皇を追いかけて大覚寺へ

嵯峨の元々の名は大山田で嵯峨とは険しい山の意味
空海が日光の山にも使ったというが、長安郊外の嵯峨山が由来との意見もある
しかし嵯峨野の名称はやはり嵯峨天皇の嵯峨院で有名

後白河院が編纂した『梁塵秘抄』にも嵯峨野についての歌がみられる

307:何れか法輪へ参る道、内野通りの西の京、其れ過ぎて や 常盤林の彼方なる、愛敬流れ来る大堰河
308:嵯峨野の興宴は、山負う桂廻う廻う車谷朝が原、亀山法輪や。大堰河。ふちふち風に、神さび松尾の、最初の如月の。初午に富配る。
309:嵯峨野の興宴は、鵜舟筏師流紅葉、山蔭響かす筝の琴、浄土の遊びに異ならず
316:万劫年経る亀山の 下は泉の深ければ 苔ふす岩屋に松生ひて 梢に鶴こそ遊ぶなれ
355:鵜飼はいとをしや、万劫年経る亀殺し、又鵜の頸を結い、現世は斯くてもありぬべし、後生我が身を如何にせん
356:嵯峨野の興宴は、野口打ち出でて岩崎に、禁野の鷹飼敦友が、野鳥合はせしこそ見まほしき
385:西山通りに来る樵夫、を背を並べてさぞ渡る、桂河、後なる樵夫は新樵夫な、波に折られて尻杖捨てて掻い縺るめり
388:西の京行けば 雀燕筒鳥や さこそ聞け 色好みの多かる世なれば 人はとよむとむ 麿だにとよまずは
555:太秦の薬師が許へ行く麿を 頻りとどむる木の島の神

登場する地名は双岡南の常盤、桂、亀山、法輪寺、松尾
その中心におかれるのは渡月橋の架かる大堰川
登場する人物は遊女、樵夫、鵜飼い、筏師
中村直勝さんの研究につながるような
神仙思想にいろどられた不思議な空間がそこにみえる
嵯峨野のもうひとつの姿

310:四方の霊験所は、伊豆の走湯。信濃の戸隠、駿河の富士の山、伯耆の大山、丹後の成相とか。土佐の室生戸、讃岐の志度の道場とこそ聞け
261:八幡へ参らんと思へども、賀茂川桂川いと速し、あな速しな。淀の渡に船うけて、迎え給へ大菩薩
439:去来れ独楽、鳥羽の城南寺の祭見に、我は罷らし怖ろしや、懲り果てぬ、作り道や四塚に、あせる上馬の多かるに

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