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2007年9月26日 (水)

河内源氏三代の墓

10月14日に藤井寺で話しをすることになっている
テーマは中世河内の風景である
1985年から1999年までおもに河内で発掘調査をおこなっていた
直接藤井寺市内で掘ることは無かったが、通勤途中や関連資料の調査で何度も見ていたところである
古代の土器の基準資料であるはさみ山遺跡があり
なにより巨大古墳で有名な古市古墳群がある

一方、中世の藤井寺についての資料も豊富で
灌漑水路による耕地開発と村落遺跡や領主居館など
豊かな歴史を語ってくれる場所である
けれども藤井寺という場所にこだわってみると
そういった河内全体でもみられる中世の農村の風景以外に
もっと歴史の表舞台で活躍するような人物とエピソードとの関わりにも注目していいと思う

やはり河内の中世を代表する人物と言えば楠木正成だろうが
太平記に登場する藤井寺の戦いのように
南北朝期から室町期にかけて
この地域は激しい戦闘の場ともなった
ただしこの時期の激しい戦闘の場というと
先日、藤木先生も言っていたが
応仁の乱の激戦地が新町キャンパスから西陣の間の
歩いても15分ほどの範囲だったように
後の時代の戦闘のような焦土と化すようなものではなかったと思われる
言い換えれば、大軍がひろい平野で対峙するような種類の戦いではなく
むしろ市街戦のようなものだったと
そうすると、この場所がそういった町場の中で陣地の争奪戦をするようなところだったということは
この場所はあたかも応仁の乱の時期の上京のような家並みがひろがっていたのでは
ということになる

であるならば、この場所にそういった都市的な風景が成立した背景は何なのか
ということが当然の疑問として沸いてくる
中世の藤井寺とはどういった場所だったのだろうか
そんな関心から
藤井寺市の教育委員会で山田さんと久しぶりにお会いして
昼過ぎまで岡ミサンザイ古墳が中世の城だったとか南河内の中世遺跡についていろいろな話をして
さてと
小山善光寺から津堂城山古墳へまわり
岡村荘を経ながら、おお確かにここは岡だと実感しながら
商店街のアーケードを抜けて西国三十三所観音霊場のひとつである葛井寺へもどり
辛国神社の近さに驚き
道明寺で十三重塔を見て
喜志からバスで石川を渡り・・・・・・

この数年、鎌倉と鎌倉時代にこだわって
けっこう勉強してきたつもりだったが
こんな近いところにその源流があったのに今まで見ていなかったとは
勉強とはいつまでたっても終わらないものだと
近飛鳥特有の、あの不思議な地形を感じながら
(石川を渡るとなにか違った空間に入った気がする)
通法寺跡と河内源氏三代の墓を見て
(こんな近いところに、石井進の平国香に対応する武士団の館があったなんて。うかつもはなはだしい)
再び古市へもどって西琳寺の大きな五輪塔を見て
誉田八幡からその先の大きな森を見て

藤井寺から南河内にかけての一帯はとても不思議なところで
鎌倉時代の源流をつくった人物と、鎌倉時代の幕を閉じた人物の両方を生み出している
そして鎌倉時代のもうひとつの立役者だった叡尊も関わっている
とても強い鎌倉の匂いを感じるところだと思う
さらに善光寺まである

楠木正成を生み出したキーワードは百済・河内源氏・叡尊・道明寺そして葛井寺になると思う
14日は、そんな話をしたいと考えている

欲を言えば、羽曳野の伊賀南遺跡までまわりたかったが

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