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2007年9月20日 (木)

雨の漢江沿いの街

関空から仁川までの飛行時間は1時間20分
明石海峡を抜けて小豆島から中国山地に入り、新見から宍道湖をかすめるルートで新羅と百済を横断する
朝一番のフライトだからだろうか、乗客は半数に満たず
さらにトランジットのため、入国カードを受け取らない人も多い
中村直勝さんの『増鏡』(アテネ文庫)を読み終える頃、仁川に着く

仁川は土砂降りの雨の中
上海の台風の影響がここまできているのだろうか
なんとかホテルに入る頃には小降りになったので
去年のロンドンを思い出しながらソウル歴史博物館へ向かう

この4月から東京とその近郊ではパスモが登場し
それ以前からあったスイカとあわせて
東京圏内では切符を買う人が減っているという
関西圏内でもイコカが以前からあり、その後ピタパも登場して
この4月から近鉄や京都市地下鉄でも使えるようになったため
やはり切符を買う人が減るかと思っていたが
関西圏でのICカードは東京圏より利用率が低いと聞く

その理由が地域性なのか機能差なのかはわからないが
ソウルでも以前からT-MONEYというカードが開発され
現在ではバス・地下鉄・タクシー・コンビニと一部の博物館でも決済が可能という
ロンドンでは3日間地下鉄とバスに乗り放題のトラベルカードを使ったが
これはぜひにと思い、さっそくセブンイレブンでティマニ・チュセヨ
ソウルの地下鉄は、待つほども無く次々とやってくるため
それほど急ぐ必要も無いのだろうが、切符を買うときの小銭の心配が要らず
どうしても小銭が増えてしまう旅行者にとっても
このシステムは有効だと思った
京都市でも考えたらどうだろうか

中村直勝さんは『増鏡』の中で「歴史は何のために編纂されたか」ということを語っている
中村さんは『増鏡』を『吾妻鑑』と対比させ、それが、「かくあれかし」という文学でもなく、「かくあった」という史学でもなく、「かくあるべきだ」という哲学でもなく、「その中にひそかにこもらせてある目的を達する必要」によって「一人でも多くの人に読まれる必要」があった歴史書だと考えていることによるのだが

その1は、国家や個人がある程度生育して精神的なゆとりができたときに、自分の履歴を書いておきたいという素朴なもの
その2は、権力者がその正当性を普及させるためのもの
その3は、いわゆるアーカイブで、大がかりな日記のようなもの。ただし対象が広範におよぶことにより誤りが多くなるという
その4は、かなり高い学問的な要求に基づくもので、エピソードの因果関係をたどり、その中から何らかの規則性や哲学や今日の指針を導き出そうとするもの。いわゆる鏡がこれにあたるという
その5は、偉人伝や英雄伝。これはどちらかというと文学のジャンルに近いとも
その6は、その7は
ということで
歴史の編纂(叙述)は公正でなければならないのは当然だが、できあがった歴史書は決して絶対公平なものであるとは言い切れない
ゆえ、歴史を研究するときは、その残された史料や資料の製作者が誰か、あるいはどんな環境にあった人なのかをみきわめて立ち向かわないと、史料や資料を読み解くのではなく、史料や資料に読まれてしまうことになる
「編纂者の投げた網の中に捕らえらえてしまうことになる」

中村さんは『増鏡』を希代の名文と賞しているが、この文もやはり同様だと思う

ソウル歴史博物館の常設展示の最初のコーナーにある、漢城の巨大な模型を見たときに
思わずこの中村さんの言葉が頭をよぎった
ソウルには宮殿が多く、この博物館も第15代光海君が建てた離宮の慶煕宮公園の一角に建つ
もよりの駅のひとつはソデムン(西大門)なので、漢城の西の端に近い
その南東約500mには、9代成宗の兄月山大君の邸宅として築かれた徳寿宮が建ち、すぐ東がソウル市庁、そして道をへだてたその南東がロッテ百貨店である
ちなみに南大門は、この徳寿宮の東の道をソウル駅へむかって約500mのところ

一方、この道を逆に北へむかった先におかれているのが景福宮
李朝の太祖、李成桂が1395年に築いた王宮
南西に国立古宮博物館があり、北東に国立民俗博物館がある
そして、この景福宮の東におかれているのが昌徳宮
第3代太宗が1405年に景福宮の離宮として造営したもので世界遺産登録されている
さらにその東に接しているのが昌慶宮
第4代世宗が1418年に父の太宗のために建てた離宮
第9代成宗が3人の大妃の宮として増改築
そしてこのふたつの宮の南には李朝歴代の国王と王妃を祀る宗廟

どうも思いこみが強すぎていけないのだが
見れば見るほどに
どうしても聚楽第と御所の関係が頭を離れない
もっと相対化して、多角的な見方をしないといけないとつぶやきながら

中村さんの本を読んでいて、増鏡が清凉寺から始まっている意味がわかった気がした

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