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2007年9月22日 (土)

漢城から京都を見る

このホテルではNHKの海外放送を見ることができて
さらにひとつのチャンネルは野球放送をしているのだが
なんと昨日は阪神のゲームをライブでやっていて思わず見てしまった
閑話休題
20日の夜のNHKの天気予報を見ると日本列島は依然として熱中症の注意を促すほどの厳しい残暑が続いている様だが、こちらには秋雨前線がのびてきており
明日はまた雨かなあと思っていたら
なんとか曇りで天気はもった

8時にホテルを出て昨日間に合わなかった昌徳宮へ
世界遺産になってからかどうかわからないが
ここは時間が決められてガイドに案内してもらうシステムになっている
早く着きすぎたため、近くの史跡を見学して昌徳宮の門に向かう
その日の最初のツアーだが、すでに50人以上が集まっている
ウィットに富んだ説明の女性ガイドに導かれて王宮を巡る
平安京で言えば、大極殿と内裏が一緒になったような空間であるが
北にとりこまれている小丘陵の関係だろうか
それらの軸が一致していないことが面白い
ガイドさんによれば、風水を重んじたというが
現在でも大統領府も景徳宮も北の白い岩盤が露出した山を背後においた風景の中にある

11時に宮殿を出て時計をにらみながら南大門へむかう
こういった時、T-moneyがやはり重宝する
どこでもそうだろうが、駅はその地の雰囲気をそのまま表現している
ソウルの3日間で、その全ての特徴を知り得たわけではないが
ここはなんとなく阿倍野の駅を感じた
南大門の最寄りの駅を降りて地上に出るといきなり市場のパワー
ミナミのいきおいに圧倒されながら通りを下ると、左手に城壁が見える
あれ、と思いながら先を見るとソウル駅が見える
予定していた道を間違えたが、その手前を右に曲がれば南大門である
なるほど南山の西の尾根の先がずっと下がった先にあたっていた

Dscn0690 南大門には厳しい顔をした衛兵が3人立っていて街の守りを象徴している
南大門と通称されるが、ちゃんと「崇禮門」という額がかかっていてうれしくなる
南東にむかってすこしだけ低く城壁の一部が続いているが
北西は高層ビルが林立していてもはや城壁をの姿を探す術は無い
ただし、地名などにその痕跡が無いかどうか
市場を突っ切って地下鉄にもどり国立中央博へ

仁村の駅からすぐの場所に広大な公園とともに博物館が建つ
民俗博物館でも感じたが、ロンドンと同じ楽しい博物館の雰囲気が伝わる
学校との連携がうまく運んでいるのだろうか
小学生や中学生らしい児童・生徒がとにかく多くとてもにぎやか
全てではないが、頑張っているところも多く知っているが
日本の博物館からはいつからこういった風景が減ってしまったのだろうか

会いたかった資料に会え
確かにそうだったと思う資料に会えた
日本の歴史は東アジアの歴史だと実感する貴重な空間である
豊富な資料と楽しい雰囲気の中
帰りの飛行機の時間を気にしながら、やはり全てを見ることができないまま
またもや禁断の小走りで地下鉄にむかう

ところで、昨日一番大切なことを書くのを忘れていた
漢城には8つの門がある
今回はそのうちの6つを見ることができた
ただし西の2つは現存しないので(1つはあるか?)
現存する全を見たかと思う
そこでそれぞれのあった場所を思い出してみると
東の光煕門は南山の北の端、東大門と恵化門は駱山の南と北の端
崇禮門(南大門)は南山の西の端、西のふたつの門は、その北の山の南の端
そして義彰門は北の山が途切れた峠の位置
けれども粛靖門は山の上だった
つまり8つの門のうち
漢城を囲む丘陵の途切れた位置で、外界との自然なアクセスの場にあるのは7つだったのである
もちろん、その中で最も重要なのが漢城を東西に貫通する時のそれぞれの門
それが現在の東大門と南大門に継がれていることもよくわかった
漢城は今のソウルの中にも生き続けている
そして京都もまた同様ではないかと思う
そんな視点で現代の京都を見直してみたらどうだろうか
まもなく離陸

日本海の上空10058mで漢城から京都を顧みておもう
北野の天神さんと東寺の弘法さんのはじまりはいつなのだろうか
三条の賑わいは粟田口にさかのぼるのだろうか
大和大路を意識すれば清水あたりか
淀から洛中へ入ってきた荷がつくのは
鎌倉時代は七条あたり
では室町時代は伏見から大和大路を上がるのだろうか

行きは空席の目立つ機内だったが
帰りは週末を日本観光に向かう乗客で満席である
これからの京都観光とこれからの京都観光
考えるべき事はたくさんたくさん

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