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2007年9月13日 (木)

ちょっと早いけれども卒論や修論への準備を始めている君たちへ

嵯峨天皇についての中村直勝さんの文章が頭から離れず
中村直勝著作集に目を通していたら第6巻で後鳥羽についての詳述があった

鎌倉時代の京都を説明するキーパーソンが後鳥羽であることはあまりにも有名な事実である
けれどもその後鳥羽についての史料があまりに少ないこともまた有名な事実である
数少ない史料の中で取り上げられることの多い「玉葉」もその初めには記述を終えてしまい
最も豊富なエピソードを与えてくれる「増鏡」は、その内容の精査が困難である

そのため、京都の歴史にとって、鎌倉時代はどうしても描きにくい時代が続いており
それが、都市史から見た京都をわかりにくくさせている大きな原因であることも
また多くの研究者にとっては常識とも言える事実である
しかし、そんな状況であっても、なんらかの仮説を打ち出さないことには
京都の都市史研究の新たな局面は見えてくることがない

そんな気持ちから、とある本の著述をはじめているが
さまざまな先行研究を紐解く度に新しい学びに接し、一進一退の状態が続いている
あたかも歴博の48集に河内鋳物師の論文を書いたときに2年模索を続けた様に

ともすれば分散してどこかへ行ってしまおうとする情報を
手足をばたばたさせながらなんとかたぐりよせ
どの糸とどの糸を結べばどうなるか
あっちこっちの記憶をたどりメンディングテープで仮留めする

少しも進んでいないのではと思う気持ちの一方で
わずかずつだが前に進んでいることを感じるのは歳のなせる技かと
自分を納得させる

中村さんが大覚寺について書いていた中に
大沢池は仙境だというフレーズがあった
ポイントはここにもある

予廿余季より以還、東西の二京を歴観るに、今夜猿楽見物許の見事なるは、古今に於て、未だ有らず。

右馬寮の史生、七条以南の保長なり。名は金集(かなつみ)、名は百成(ももなり)、鍛冶、鋳物師、ならびに銀金の細工なり。

五味文彦2007『王の記憶』新人物往来社

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