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2007年9月21日 (金)

ソウル城郭探索-超超健脚向け-

後でニュースを見たら台風が予想より早く北へ抜けたようで
今日は朝から気持ちよく晴れた
晴れたということは漢城の城壁をたくさん見て回れるということで
ソウルナビの情報を元に、9時前に東大入口駅を出る

漢城を描いた地図はいくつも知られているが
17世紀の「朝鮮八道古今 覧図」をみると
東の興仁門と南の崇礼門がとくに大きく書かれ、あわせて8つの門が描かれている
北東に恵化門、東に興仁門、南東に光煕門、南は南山タワーの建つ丘陵を境として
南南西に崇礼門、南西に昭義門、西に敦義門(これが慶煕宮の南西)
北は恵福宮の西の道を北へすすみ、白岳の西の麓に彰義門、そして真北に粛靖門
東の興仁門が東大門で南南西の崇礼門が南大門にあたる

ソウルナビによれば、東大門から北と南にのびる城壁がみられるとのことで
北の恵化からおりるか、南の東大入口からあがるか迷ったが
イテウォンの駅に降りて最初の列車が東行きだったので南から回ることに
5番から外へ出てファミリーマートで、さっそくt-moneyで水を買って東湖路を東へ
新羅ホテルを通り過ぎたところで南へまがる
見れば探すまでもなく、大きな解説板と城壁そのものが目に飛び込んでくる

Dscn0416 最初に造られたのは初代太祖の1396年で20万人が働いたと書いてある
3代将軍足利義満の時代である
4代世宗の1422年に石造りにして、高さ12m、延長18キロの城壁が完成したという
4代将軍足利義持の時代である
「ソウル城郭」とはその解説板での名称である

城壁はきれいに整備され、新羅ホテルの東境も兼ねているのだろうか
登り坂の道沿いをうねうねと南へつづく
冬ソナの事務所になったロケ地をすぎてしばらくいった頃から
城壁は南山の山麓に入り、東は急激に落ちる地形になってくる
途中1カ所、城壁の内側へ入る口があり、少しのぞいてみたが庭園の一部と民家がみえた
地形に沿ったかたちで緩やかに左へカーブして登り詰めたと思ったらそこから西へ折れ曲がり、まさにその場所で発掘調査がおこなわれていた
休みのようで、話しを聞くことはできなかったが、この先の南山の林の中にも、この城壁が続いていったのだろう

大汗をかいてもとの場所へもどり、道を渡って北へ向かう
このあたりは元々南山のひとつの尾根が北へのびた場所だったようで
城壁そのものは残っていないが、道沿いの西にその最高点がわかる
おそらくこのラインが城壁の跡だろうと独り合点
やはりこの道の東は大きく下がる
下り坂になったところで、奨忠壇ギルのウリ銀行から来た道とT字にぶつかるので
Dscn0445 右に折れてすぐにまた北へ向かうとまもなくその先が開け光煕門が見える
ほぼ退渓路に対する関係とみてよいだろう
その先が東大門運動場と市場街、信号待ちをしながらファミリーマートで水を買う
カムサハムニダ

城東女実業高校と漢陽工業高校の間をぬけて東大門南の繁華街へ
地図を片手にまわりをみまわしていたら、横断歩道の中央分離帯に大きな観光マップがあって、そこに城壁が描かれている
なぜか現在のソウルのマップに城壁の乗っているものを見たのはこれが初めてとなる
せっかくなので、少し市場に迷い込みながらなんとか五間水橋を渡り東大門の正面にでる
Dscn0459 現在は普通に東大門として知られているが、交通標識にはしっかり「興仁門」とある
旺山路に横断歩道は無く、地下をくぐって北へ
東大門のロータリーからも見えるが、城壁はそのまま北へ続いている

ここの城壁もきれいに整備されており、最初は外側を歩いていったが
途中から内側に入り、さらに城壁の真上の道を駱山公園に向かってのぼる
気がつけば、ここもその東と西が急な崖と斜面
つくるべきところにつくられている
Dscn0476 駱山公園の中央は、城壁の外の住宅街をまわってきたバスの終点になっていて
その部分に大きな岩盤を利用した城壁の断面がみえる
ここから城壁はまもなく下りになってやがて行き止まり
目の前には大きな建物の敷地と密集するマンション群
なんとか城壁の続きが見れないものかと行き止まりの路地をさまようが
どうみてもこのままではあやしい人物になってしまうのであきらめて西へ降りる

マンションの建ち並ぶ住宅街を越え、飲食店の並ぶ通りを過ぎると恵山の駅
大学路のいきなりの都会である
ソウルナビはここまでの紹介だが
地図を見ると、この先に地下鉄4号線の走る大きな道があるので
城壁はかならずこの道と交差しているはずと、そこを目指す

不思議なモミュメントを歩道においた恵化の街をぬけ大きな交差点を右に折れる
物理的に城壁の一部でも見られるはずと思い先を見ると瓦屋根の一部が
Dscn0486_2 恵化門である、城壁も続いている
地図に載っていないので嬉しい
さて、これからどうしようかと一瞬迷うが足は先へ進む
ゆっくり右にカーブしてから直線を少し
だんだん左にまがっていくとそこは学校のグランドの壁
やはり右手は急な下りなので、おそらくこのラインだろうと思いながら
けれども痕跡はここまでかと恵化へもどる道との交差点に出て思う
時刻はまもなく12時
なにか食べようかと、目の前の食堂をのぞく
元気なおばさんが声をかけてきて、空いている席を指さして座れと言う
どうやらカツ料理屋さんの様子
せっかくなので韓国らしい食事ができたらとあやまって出る
さて、どうしようかと道の向こうを見たら城壁の看板があった

再び上りである
やはりきれいに整備された城壁を右手におきながら
光煕門で買った水はすでに駱路公園で無くなっている
やはり昼は無いなあと思いながら前を見ると東屋が見え車も停まっている
そしてその先は特別区で進入不可となっている
やれやれこれでなんとか区切りがつくかと思い回りを見渡していると
城壁の外へ出る道のそばに、距離やこまかなコース説明の入った城壁の案内が
手元の地図と見比べて、どうやらこの先の長いコースの説明だと推測
残りの時間を考えてこれは無理だろうと思い
景福宮への道を降り始めようとして「粛靖門」と赤い→の表示が目にとまる
光煕門を見て東大門を見て恵化門を見てさらに粛靖門を見れるのならと思い
つい引き返して城壁への道を進む

城壁を越え、テニスコートへの道と分かれ城壁の外を城壁沿いに進む
北は大型のマンションが建ち並ぶ住宅地
南はソウル中心部で、その先には漢江が流れる
城壁はそのまま西へ延び、特別区の立ち入り手続きを経て粛靖門へ
その先は再び上りと下りが延々と続く石段
なんどか踏み外しそうになる足をなだめながら義彰門に着いたのは
午後を大分まわった時間だった
結局南山の南東角から東のルートを北上し、さらに北山のほぼ3分の2以上を見てまわったことになる
城壁はさらに仁旺山の峰をめぐり、地下鉄3号線のあたりを南下して慶煕宮公園の西あたりへ来ていたらしい

ほとんど足を引きずるようにしながらバス通りを下り
大統領府を迂回して北から景福宮へ入る
国立民俗博物館では音にちなむ企画展がおこなわれており賑わっていた
ロンドンの博物館で感じたのと同じような楽しさがあった
やはり「モノ」の持つ潜在的な力なのだろうか
景福宮は北西部が修復中で、外に発掘調査でみつかった見事な宮殿遺構の写真が掲示してある
オンドルを確認して、広い前庭とそびえる宮殿を確かめた後
大規模な修復工事中の光化門を横目に東へ
にぎやかな仁寺洞を南に見ながら粟谷路を東へいけば、ほどなく昌徳宮
景福宮と昌徳宮は東西に並んでいるのである
ただし昌徳宮は最終の案内が出た直後だったため、昌慶宮へ禁断の早足で向かい17時3分前になんとかすべりこむ
東向きの宮殿で、背後に諸施設をもうけ、北に園地をもつ
また、その南西の隅から南の宗廟へつながっており
歴代の王と功臣が祀られた御殿をみることができる
いずれも中央に瓦を敷いた細い通路が印象に残った
そういえば米沢の上杉家の宗廟も同じような景色だったとも思いながら

昌慶宮を出ると18時少し前
一番近い地下鉄は恵化かチョンノオーガ
午前中に見た大学路のにぎやかさを思い出して恵化へ
親しみやすそうな飲食店が並ぶ
なんども立ち止まるが、今日は一旦座ったら立てないと思いそのまま駅へ向かう

今日の踏査で、戦国時代末期の日本でおそらく知ることができた
漢城の景観と同様なものを得たと思う
戦国の武将達は、大内をはじめとして、それぞれ独自のルートで大陸と交流し
その文化と技術を受け入れていた
その中に、繁栄する漢城の姿があったとしてもなんの不思議も無いと思うのだが
ほぼ9時間、休み無しで歩き続けた
上り下りもかなりあった
距離は不明、万歩計を持って行けばよかった
戦国時代に関心があるならば見ておいたほうが良いとは思うが
よっぽどの覚悟が必要な超超健脚向きコースである

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