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2007年10月20日 (土)

善光寺仁王門西元善町遺跡探索

共同通信の配信記事によると
善光寺の仁王門東に位置する元善町遺跡の調査で、鎌倉時代にさかのぼる造成の跡を確認したという、長野市教育委員会文化財課の埋蔵文化財センターの発表がありました

みつかった遺構は、調査区の南側で、直径60~90センチの自然石を数段積んだものと、その北側の締め固められた盛土で
写真を見ると、石の大きさや形は不揃いだが、南に面をもち、東西を軸としています
盛土の高さは1mほどでしょうか
また、盛土の上面には、礎石と思われる直径60センチほどの平石もおかれ、規模や構造はわかりませんが、建物がたっていたことも考えられます。

出土遺物は、盛土内から多量の瓦片と共に数点の軒丸と軒平瓦がみつかり、その特徴から平安時代後期から鎌倉時代のものと考えられています。
また、盛土内には焼けた跡の土もあり、その中から漆喰の残る壁の破片や素焼きの土器の破片などもみつかっています。

昨年の3月に鎌倉時代のV字溝に出会って以来、これまで何度も善光寺について考えてきましたが、今年の3月には7世紀にさかのぼる可能性のある「湖東式」の軒丸瓦がみつかり、今回は再び鎌倉時代の遺構と遺物がみつかりました。
善光寺の歴史は、一般に『扶桑略記』に代表される古代の姿が有名ですが、源頼朝や名越朝時の復興と修造および藤原定家の信濃経営に代表される中世の姿もまた重要です。
あるいは、現在の善光寺の直接の源流を語るのであれば、後者の中世の善光寺にまつわるエピソードがもっと注目されて良いと思います。
その点でこの1年は、この善光寺の歴史に関わる重要な遺跡の発見がたてつづきにあったという、なにかとても衝撃的な1年だったように思います

遺跡の情報というものは、基本的に本来あったものの断片なので、常に慎重に総合化を心がけながら考えていかないといけないのですが
みつかった断片から仮説を組み立てていくことも必要なことなので、今回の調査の結果について、少しだけ想像を働かせてみたいと思います

まず最初の想像は、この造成の意味です
見つかっている遺物の時期が平安時代後期から鎌倉時代ですので
この造成は、それらの遺物の時期の後におこなわれたことになります
また鎌倉時代より新しい時期の遺物が見つかっていないので
この造成の時期もそれより新しくならないことになります
それから、盛土に焼け土があって、漆喰の付いた壁の破片があって、軒瓦があるので
この造成の前に、瓦を葺いた建築物があって、それが焼けたことがわかります
そして、この造成はその建物の建て替えによるものと考えられます
そこでこの時期に関わる記録をみれば、有名な頼朝の復興や名越朝時の修造供養があります
今の時点で、そのどちらかを特定することはできませんが
鎌倉幕府が力を入れた善光寺造営にかかわるものと考えて良いのではと思います
一遍上人絵伝に描かれた善光寺の姿は、これ以降のものになります
それから、善光寺の屋根の歴史は
湖東式や川原寺系など→巴文→檜皮葺?ということになりそうです

次に想像するのは、石積みの意味です
みっつの可能性が考えられます
ふたつは、一遍上人絵伝が正しく描かれたものとするならば
この石積みが善光寺境内の全体の区画の南にあたるか、あるいは内側の区画の南にあたるかで
もうひとつは、独自の建物にともなうものか、です
今年の3月に大本願地点の調査があり、調査区の南東から斜面を埋めたような包含層と
現在の築地に沿って東西に走る溝状の遺構がみつかりました
包含層からは古代の瓦がみつかり、溝状の遺構からは中世の遺物がみつかりました
したがって、ここに中世にさかのぼる境界線があった可能性が考えられます
そうすると、今回見つかった石積みの軸は、それより内側の中世の時代のなにかの敷地境界だということになります
また、現在の仁王門は宿坊から石段を登った上にあります
一方、今回の調査区の面は、そこから下がった高さにあります
この差がどのような意味をもってくるかも考えたいところです
それから今回の石積みの軸線と現在の町並みの関係も興味深いところです

3番目に想像するのは、見つかった土器の意味です
大門町や西町遺跡からは、多彩な土器や陶磁器がみつかりましたが
大本願地点や今回の調査地点からはあまりみつかっていません
これは大本願地点や今回の調査地点が境内の中だということを意味するのでしょうか
できれば鎌倉の支援を物語るような資料がみつかればとも思いますが
今後の調査での関心事のひとつです

4番目に想像するのは、建物についてです
が、これはさすがにまだ何も言えません

この1年で、善光寺史研究の新しい扉が開かれたと思います

高松の午後8時は肌寒い
駅前で夢を追う若者二人が別々にギターを奏でている

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