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2007年11月27日 (火)

筑紫道記

福岡市立博物館で「1480年の博多」と題して宗祇の日記をもとにした企画展をおこなっている
地下鉄空港線の西陣でおりて、百道の西南学院の前を通っていった先のあの有名な金印が展示されている博物館である
中世の陶磁器を学ぶものは、必ず見ておかなければならない博多の多彩な資料群
その実際をみごとに表現した展示で、博多を訪れた際には、開館以来何度となく足を運んでいる
もっとも最初に訪れたときには、天神の駅から北東へ5分ほどの赤煉瓦の建物がそれだった
ちなみに西新は学生の街ということもあって美味しいラーメン屋も多い

なにが気に入ったかというと1480年の博多というキャッチ
おもわず新幹線の時間を気にしながら見入ってしまった
<余談だが、JR九州の企画をプロデュースしている人には機会があれば会ってみたい。列車のセンスが抜群なだけでははなく、クルーもみな洗練されていて、イベントのキャッチも今年は博多スイッチと鹿児島スイッチという粋なもの。九博も、いろいろな工夫をして、頑張っている。九州が魅力的なのは、東国原さんだけの力ではないような>

宗祇は1421年から1502年に生きた人物で、室町後期の連歌師。あるいは古典学者とも。和歌を飛鳥井雅親に学び、ということは、今出川堀川近くにも顔を見せていたのだろうか。そして故実は一条兼良から会得し、さらに古今伝授を東常縁から教授したという。将軍家師範で東山時代の代表的文化人と言える。有名な作品として「新撰菟玖波集」が知られている。古典学者とされるのは「古今和歌集」などの注釈書を書いたことにおよる

その宗祇が山口の大内政弘に招かれていた時、文明12年(1480)9月6日に山口を出て、大宰府・博多をめぐって10月12日に山口にもどる旅行をおこなっており
その日記が『筑紫道記』として残されている
1480年といえば応仁の乱が終わって間もない頃
解説によれば、乱の後に、豊前と筑前を平定した大内の領国を、60になった宗祇がめぐったことになっている

旅は大内氏の手配によって山口から下関、門司をへて山に入り、直方、飯塚から峠を越えて大宰府天満宮の安楽寺に入り、観世音寺、政庁、水城を経て博多へ、生の松原や志賀島をおとずれた後、筥崎、香椎、古賀、宗像大社と有名な芦屋などの海岸沿いを北九州へもどり、下関からは山を越えて山口へ戻っている
大内氏の思惑によるものだろうか、大宰府へ北東の峠越えで入っている
うかつにも西鉄電車で入るルートしか頭になかったので勉強になる
天満宮から観世音寺を通って政庁へは約2キロ
さっき歩いた路を宗祇も馬に乗ったと思うとなんとなく風景も違って見える
ただし宗祇は都府楼前から西鉄には乗らず水城を越えて博多に入っている

博多はどうかというと、9月20日ついて竜宮寺を宿所として、10日間、博多とその周辺の名所をめぐっている
竜宮寺は現在
その時の博多は、大きな船が港に入り、町は民家や町家が軒を並べる賑わいだったという
ただし、住吉は楼門がくずれ、筥崎宮は再建途中だったともいう
古代末から中世前半の博多については、二つの砂碓と代表的な寺院を核とした都市的な風景が描かれているが、中世後半においてもおおいに発展した港湾都市の姿を想像できると思う
きっとこの情報に遺跡情報を重ね合わせると
もっとリアルな室町時代の博多が目の前に姿を現すと思うが
智真に導かれ、これまであまり注目されてこなかった歴史情報の活用が見えてきたと思う

それにしても博多は面白い
コンパクトな空間の中に、文献も絵画も遺跡も建築も民俗も
古代から近世まで、東国も西国も、いや東アジア的な視野を含めて
ありとあらゆる種類の日本の歴史のコンテンツがつまっている
卒業研究の研修旅行にうってつけではないかと思うのだが

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