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2008年2月 3日 (日)

北山石不動

いつも言っているように、遺跡研究の対象は、土の中にあるものばかりではない
そのひとつの代表が石造品
川勝政太郎さんはその研究を牽引されてきた第一人者
「北山石不動とその信仰」は川勝さんが昭和34年に『史迹と美術』第29輯の1と2に書いた現在の金閣寺境内におかれる不動堂背後の石室内石造についての論攷

川勝さんによれば、その信仰は、貞享元年(1684)の『雍州府志』には「在大北山 本尊石地蔵弘法大師之所雕」とあり、元禄15年(1702)の『山城名勝志』には「在鹿園寺北林中 堂西向 本尊 不動明王」とあり、別に室町時代の『管見記』や『二水記』の北山石不動参詣の記事をひいているため、義持の鹿園寺移行、ひろく信仰を集めていたことがわかる

石不動は、不動堂裏の土蔵風に造られた岩窟におかれている
現在の扉の海老錠には寛永13年(1636)の銘があり、入口には立派な青石がたつ
さきの『管見記』永享5年(1433)6月11日に「岩屋不動」と見えるため、足利義教の時代には現在の状態に近い形で安置されていた可能性が高いとされる

川勝氏によれば、「不動明王立像は緻密な砂岩を丸彫したのもので、高さは5尺4寸」「一般の石仏にはみられない木彫風の石像で」「丸彫手法は完全に施されていて、両腕も胴から遊離している。一見しての感じは甚だ温雅である。勇猛さの誇張がなく、その点で藤原時代が濃厚である」と

また類例としては、群馬県宮田不動堂の建長3年(1251)銘の立像が、墨書から七条大宮仏所か六条万里小路仏所の流れをくむ木彫仏師によるものと推測されている

『明月記』嘉禄元年(1225)10月23日に「北山不動 愛染王 奉造被安置 各有一堂」、『増鏡』の大内やまに「瀧のもとには不動尊」とある
この西園寺の不動尊と現在の石不動の関係については、赤松俊秀さんはこれを異とし、川勝さんは同とする
現在の不動堂の背後には岩盤の高い崖がある
また不動堂の東も現在の駐車場に向かう緩やかな段差がある
西園寺の北山殿の「四十五尺瀑布瀧」がどこにあってどのようなものなのかは、東洋一さんの論攷も検討しなければならないが
この石不動が西園寺の時代に限りなく近いことに違いはない

2月3日の節分は、この石不動が御開帳される年に2度の日のうちの1日
11時から法要がおこなわれ、その後にお堂に入り、奥の石不動を拝むことができる
出町に着くと、覚悟していたより寒さは強くなく、北山は雪がすっかり溶けて、わずかに細かな雨が残る程度
少しだけ西園寺の空気に触れた気持ちになって四条に出る

昨日からいよいよ持明院大路に入る
奈良へ戻ると再び寒さが戻ってきていた
公経が温泉好きだったことが頭をよぎる

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