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2008年2月14日 (木)

鹿男あをによし(第5回)

明応7年(1498)8月25日、東海で大地震がおき、津波が沿岸を襲ったという。東海の中世後半の遺跡をみるときには、その痕跡を注意しないといけないと言われている。
峰岸純夫さんが2001年に著した『中世 災害・戦乱の社会史』吉川弘文館によれば、永仁元年(1293)4月13日に鎌倉を襲った地震は、治承元年(1177)に畿内でおきた地震に匹敵するものだったという。由比ヶ浜は被災者であふれた。そしてその直後、4月22日、平頼綱の乱がおこり、夏には大干魃となる。
仁治2年(1241)4月3日、『吾妻鏡』は「戌刻大地震、南風、由比浦大鳥居内拝殿、被引潮流失、着岸船十余艘破損」と記す
『新編相模国風土記』によれば、由比若宮は由比ノ浜大鳥居ノ東、辻町(大町村属)ニアリテ、下宮ノ原社ナリ、康平6年8月、頼義ノ勧請セシヨリ、治承4年十月、頼朝下宮ノ地ニ移セシ事ハ、社の総説ニ見エタリ
鎌倉時代もまた災害の中にあった
鎌倉が地震に襲われていた頃、京都では翌4日に西園寺公経の邸宅で舞楽がおこなわれていた
おそらくその場所は現在の烏丸一条あたり
公経は71才になっていた

先日、原稿の一文が気になって、今出川から七本松を経由して行願寺へ行ったとき
初めて奥まで入って驚いた
大型の五輪塔は北野・木津・石清水が有名だが、ここにあるとは知らなかった
やはり同じ時代だろうか
また別の気になることが出来てしまった
果たしてサンカクの実体とは如何に

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