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2008年3月12日 (水)

小川通りに魅せられて

先週のはじめにようやく嵯峨野から戻ってきて、今小川通りに来ている
 戦国時代の京都は、政治的な要素の強い上京と商業的な要素の強い下京の二つの「核」で説明されることが多い。
ところが、上京の中の小川通り周辺もまた、「洛中洛外図」の中で有名な商業的要素の強い地区である。
しかも上京の場面の中で、中央に大きく描かれている。
したがってその意味と役割は上京の中で大きな位置を占めていると考えて不思議ではない。
 その意味で都市としての上京の空間構造は、小川通りが大きな手がかりになると思う。
それでは小川通り周辺にはなにがあったのだろうか。
 平凡社の歴史地名大系によれば、小川通りは、すでに中世に既に道があったらしい。
「徒然草」89段には当時有名であった怪物「猫また」に会う話が載る。
一条大路南の地には足利義尚の小川第があり
庶民信仰の中心でもあった革堂行願寺も、中世には一条大路北の地にあった。
 さらに洛中洛外図と地名辞典を見直していたら、もっと面白いことが見えてきた

詳しくは夏頃までにと、しておいて
今日は、その合間を縫って兵庫県加西市の小谷城へ電子平板を持って行く
18時6分に同志社前を出ると、尼崎と神戸で乗り換えて加古川には20時8分に着く
ちょうど2時間である
行き先の北条町へは、ここから加古川線に乗り換え粟生(あお)まで行く
新快速を降りて、ホームで行き先見ても粟生が見えず少し慌てたが
そう言えばX線作業主任者の試験を受けに来たときに確かここで乗り換えたと思いだし、ワンマンの列車へ
モバイルSuicaを精算してドアをボタンを押して開ける
播磨の中に入っていく実感がする

粟生に降りると真っ暗だった
ここからは北条鉄道という単線のワンマンカーに乗り換える
なんでも無人駅ばかりだったところを社長さんが全国に声をかけて
ボランティアのステーションマスターを募り
活性化が進められているという
列車の中はとても明るくてかわいらしい色づかいがされている
Ao きっと春の陽射しを受けて走っていたら
気持ちが良いだろうと思いながら
夜の播磨に入っていく

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