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2008年3月13日 (木)

鹿男あをによし(第9回)

「MY鹿です。先生」

Dscn1977 北条町駅から北西へ中国自動車道を越えた先の小谷の集落を見下ろす東西の細長い山塊の峰を利用して築かれているのが加西市の小谷城
ちなみに尾根を越えた北の谷は風土記に登場する鴨谷

小谷の集落は、この城のから南にのびた二つの尾根で馬蹄形状に囲まれ
いかにも中世居館がおかれるにふさわしい地形となっている
この集落から小谷城へ登る道がどこにあるかと言えば
その頃はともかく現在は東側の尾根の近くに整備された山道があり
途中、左右に何時出来たかわからないが
そのうちのいくつかは当時にさかのぼりそうな平場を見ながらいくと
路が二手に分かれ
Kotani0313 右手の急に険しくなった道を登ると二ノ丸の近くにたどり着くことができる
学生君たちと東の尾根を登ってきたときは比高差に少し驚いたが
南の集落から登れば、それほどのものではない

事前勉強をせずにという無謀な状態で来たが
この場所は
マクロ的に見れば加古川から福知山を経て日本海へ抜ける播磨の南北路から少し西へ入ったところで
加古川の支流がその中央を北西から南東に流れる

小谷城の眼下に広がる盆地は
西の福崎町からきた街道が、その支流に沿って南東から東へ続く一帯で
瀬戸内式気候によって、谷池型の溜池がいたるところにみられる
地図を見ていると、この街道を東へ行った先に古坂という地名があり
その丘陵を利用して前方後円墳が築かれている
したがって、主要な街道は、この丘陵を北にみながら南東に進み、加古川へ向かうと思ったが
後で聞けば、そのまま東へ続いて京都までつながるという
瀬戸内を少し山に入った東西幹線だったのだろうか

これまで高速道路がけっこう前近代の主要陸路を踏襲していることを
色々なところで言ってきたなかで
中国道はあまり視野に入っていなかったが
実は中国道も同様に前近代の主要道に依っていたとすれば面白い

なんでもパターン化するのはいけないことだが
話しを聞けば小谷城の下の平野部には平安時代の遺跡がたくさんあると言う
川と並んではしる街道沿いの谷で、平安時代の遺跡があって
戦国時代には居館と背後の山に城をもつ
こんな風景を岐阜県の可児市で見た
顔戸遺跡である
であれば、この下の平野部には鎌倉時代の集落もきっとあると思う
それから、北条町の駅のすぐ西に「寺山」という地名と小丘陵がある
北条の盆地の南をおさえる場所で、地名の古いので
こちらも重要な場所ではないかと思うが
これ以上はもっとしっかり調べないといけない

そして今回の最大の収穫は、学生くんたちの頼もしさ

兵庫県立考古博物館は加古川から大阪方面へ二駅の土山の南西1キロ
弥生時代集落で有名な播磨大中(おおなか)遺跡公園の南にある
最近オープンした博物館の中でも一押しのひとつ
考古学を遺跡を、たくさんの人に身近に親しんでもらおうというコンセプトが至るところにちりばめられている
加えて専門に学ぶ者にとっても、兵庫県内の豊富な資料に接することのできる環境が整っている
なによりも、展示を通じて何を伝えたいか、何にこだわっているかがしっかり示されていて
それがメリハリのある演出によくわかる形で表されている
やはり歴史を考えるときに一番重要なのは人間なのだと
スタッフもキャストも観客も

だから今回の最大の収穫は、博物館プロデュースにかけた熱い人々の思い

「儀式は月が出てから行う。今夜9時に朱雀門で会おう」

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