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2008年7月

2008年7月31日 (木)

大和を掘る

2008年7月30日 (水)

寒梅研究会

森浩一「考古学崩壊の足音」『公研』2008年7月号
浅野晴樹「北条領国の城館と陶磁器」『戦国大名北条氏』(中世東国の世界3)高志書院
鈴木弘太「漆の付着した甕」『鎌倉考古』52
鶴巻康志「新潟県における古代・中世の刳舟について」『新潟考古学談話会会報』33
鈴木弘太「『浄光明寺敷地絵図』からみる鎌倉の「町屋」」『文化財学雑誌』4鶴見大学文化財学会
鈴木弘太「12世紀の二つの都市」『平泉文化研究年報』8岩手県教育委員会

2008年7月28日 (月)

そうだ 鎌倉時代の京都へ行こう

1995年から6年ほど佛教大学通信教育部で「京都の歴史と文化」を担当し
2000年から文化史特論で「遺跡が語る京都の歴史」を話している
2002年から足かけ4年間、今出川校地の整備に伴う花の御所と桜の御所跡の発掘調査を担当した
4年前からは、学際科目でリレー式に古代から近代までの京都を通観する「みやこの景色」を開き
去年からJTB西日本との産学連携で観学研究会のメンバーとして楽洛キャンパスを手伝っている

京都盆地の成り立ちからはじめて
嵯峨野に代表される古墳時代の京都盆地
平安京前夜の古代寺院と古代氏族
平城離脱から長岡京の意味
平安遷都と平安宮の位置
平安宮と平安京の発掘調査
小野篁伝説
白河・鳥羽・後白河
七条町と八条院町
離宮の風景(嵯峨野)
西園寺公経と持明院大路
祇園祭
洛中洛外図と室町殿の発掘調査
聚楽第を探せ
秀吉の京都改造(京・大坂・伏見)

膨大な蓄積のある京都の歴史研究に対し
遺跡と場所(空間)からの視点で京都を相対化し
従来の学びを深め、また新たな提案をしてきたつもりである

森浩一先生が「京都の歴史を足元から見直す」のシリーズを出されている
そのお話を聞きながら
去年から、自分なりの見方をまとめるべき時期だと考え
今出川校地の調査で出会った西園寺公経という
これまであまり注目されてこなかったけれど
実は道長や清盛や後鳥羽や義満と並ぶ重要人物をキーワードにした本を書いてみた
080728_231301 雄山閣から『中世京都の軌跡』
遅くとも8月後半には全国の書店に並ぶとのこと

これまであまり語られることのなかった
鎌倉時代の京都の姿が
彼を追うことで甦る
その痕跡は今出川校地がおかれる烏丸今出川から北山鹿苑寺へかけての一帯
その場所はまた、洛中洛外図の上京隻をたどる旅とも重なる
京都の歴史の深さと面白さは尋常ではない

2008年7月27日 (日)

骨寺村

地震の影響で平泉から一ノ関への予定の列車が運休になり
こまち号も大宮が1851に着く予定とのこと
Ts3h0001 ただし、上越新幹線の沿線で大雨が降ってその予定も確かではないとの

平泉のシンポジウムは非常に有意義なものだった
初めて平泉を訪れたのはたぶん1980年代の半ばだったのではないかと思う
毛越寺の整備で発掘調査をおこなっていて多量の土師器皿と玉石がみつかっていた
ただし、その時は実は東北の窯業生産遺跡もテーマとしていて
平泉をあまりしっかり考えていたわけてではなかった
けれども、特に学生くんたちへ、そうであっても、見たという経験と、見てないことの違いは大きいぞ
見たものは必ず蓄積となって、その時はわからないけれども、必ず後で活きてくる

その後再び近い時期に訪れた時は、北上川の堤防工事にかかる柳の御所跡の調査が始まったところだった
その後の柳の御所跡の調査とそれにかかわる研究の進展については
あらためてここで書くまでもないだろう

今回のシンポジウムは、その柳の御所跡に加え、衣川の遺跡をふまえた、これまでの平泉研究の集大成と、これからの平泉研究の展開を示すものだった

斎藤さんが予測し、私も想像していたが、衣川の遺跡群はやはり平泉を考える上で非常に重要な意味をもっていた
東アジア的な意味ももちろんだが、八重樫さんの言うように、清原時代の平泉の意味は、衣川が中心になると思う
誤解を恐れずに言えば、平泉というより、中尊寺と言うより、まず衣の関と阿倍氏があったということになるのだろうか
今回、法成寺との関係が取り上げられたが
これも非常に重要なことで
周知のように、白河の法勝寺は法成寺の代わりで
毛越寺と法勝寺の関係の背後には、当然法成寺が存在し
さらにその背後には、道長の意図である、浄妙寺と宇治がある
ちょっと調べれば直ぐにわかることなのだが
清衡と基衡と秀衡の治世の時代は
特にその没年が白河と鳥羽と後白河に
おそろしいほど近似している
白河と清衡、鳥羽と基衡
そして秀衡期の平泉が後白河の法住寺に対比されるのは
決して偶然ではなく
当然のことなのである
ただし、もうひとつ頭に入れておかなければならないのが宇治であることは言うまでもない

平安時代後期から始まる変化が鎌倉時代終わりに終焉を迎えること
そして延暦寺末と日吉が東北に関わったことと平泉の関係が発言されたのも良かったと思う
日吉神人と京都型土師器皿の関係につながり、まったく賛成である

もうひとつ、今回非常に勉強になったのが
一関市博物館の「中世荘園骨寺村」の企画展
鎌倉時代後期から末期とされる村絵図が2枚残されており
現地も、その姿をそのまま残しているという
尾根にはさまれた平坦面の中央を川が流れ
その川の周辺に田圃がつくられ
周りの丘陵の麓に家が並ぶ
典型的な中世的世界である

けれどもここはそれに加えて
川の名がイワイ川で
その上流にあるのが山王窟
もちろん日吉山王である
イワイは森先生が言うように水の信仰の象徴で
日吉山王は言うまでもなく近江坂本の比叡山鎮守の日吉神社である
さらに窟は磐祭祀につながる
日吉大社が磐祭祀をもっていることも有名
つまりこの村は
イワイ川の上流にあった磐信仰に比叡山末の日吉信仰が加わった
特殊な空間だったのではないだろうか
もちろん中尊寺にとって重要なことは言うまでもない
そして、この村の意味もそれに近いものではないだろうか

一ノ関は
あのNSPの出身地で
街にはNSP通りがあり
骨寺村を流れていたイワイ川は
この街の中心を磐井川となって流れ
NSPの「夕暮れ時はさびしそう」は
この磐井川で出来たと聞く
なんと

東北新幹線は宇都宮を通過中
大宮での乗り換えの最新情報が細かく丁寧にアナウンスされた
若い車掌さん
緊張して話しをしている
東北頑張っています
東北頑張れ

2008年7月26日 (土)

平泉へ

灼熱の京都を出る
夏休み入る親子連れが目立つものの
それほど観光客は多くない
コンコースで50プラスというJR東海のパンフレットを思わず手に取る
山科を過ぎあっという間に近江路へ
東北の天気は雨模様というが
今日は久しぶりに富士が見えるかも
今年も暑い夏が始まった

善光寺のCS3に熱中していて
気がついたら静岡に着いていた
けれども残念ながら富士は雲の向こう

東京で東北新幹線に乗り換える
何年ぶりだろうかと思いながら
伏見の論文に目を通していて
強い西日がゆるんだ頃にシェードを上げると
ちょうど郡山を過ぎていくところ
盛岡行きのはやてはほぼ満席でにぎやかだったが
仙台でやまびこに乗り換えるとのどかな東北が帰ってきた
それにしても北関東は広い
080725_180301 そして東北はもっと広い
畿内のような狭い空間感覚とは全く異なった文化が産まれて当然だと思う
前にも書いたが、土塁で囲まれた中世居館には
やはりこの風景が似合っていると思う

古川を過ぎる頃から雲が薄くなり
明日の天気が期待される

2008年7月24日 (木)

善光寺門前について考えを巡らせる

春学期のプログラムを全て終え、昼下がりの錦を歩く
数か月ぶりの挨拶を終え、M21の報告会に顔を出したあと
NでCS3に向かう
数日かけて2mコンターを辿った後、また数日かけて街路を形にする
川を流し、旧地形から元の流路を復原する
18時半に始まった会議は20時過ぎに閉じる
46分の神宮前急行に乗って、改めて地図を広げる

080724_221201 元禄時代に再建される前、本堂は現在の仲見世のほぼ中央にあたる釈迦堂の西にあったという
2mのコンターを描いていてどうしても理解できなかったことがその場所
もっと安定してふさわしい場所はその西の桜枝町あたりだろうに

いろいろな考えを巡らせながら
赤ペンで地図に書き込みをする
右上に溝の平面図
左下に鎌倉時代の境内推定復原図
右下に西町遺跡の溝断面と遺物
十念寺には板碑を、大門町には紀年銘の五輪塔を
なるほど
後町小学校のあたりは斜面が終わって平坦面がひろがるところ
けれども妻科神社から流れ出る裾花川の支流は
すぐその上を流れた可能性が高く
あまり良い環境では無いような

金鋳川の灌漑の意味はとても重要だけれど、その役割は湯福川でも果たせないだろうか
そう言えば、元の本堂の位置は、ちょうど湯福川が伊勢神社の急崖を流れ落ちる場所に接している
湯福神社と善光寺前身寺院が関係するなら、そのコンセプトは明解だ

西之門町の北に上西之門町があるので
西之門町は古い
東之門町は、元の場所から北にずれて、その後に横町が出来たのだろう
西町は、もちろん大門町が出来た後
元禄の地図にみえる旧町名を載せてみよう
西之門町の西に離れてある立町が気になる

遺跡で見つかった溝と屋敷の関係はどうだろうか
素直に考えれば、溝より高いところから埋められた遺物が出ているので
いずれも溝の北が屋敷地になるだろう
そうなると
大門の交差点から大本願の南までが3つの屋敷に分けられる
比高差は約2mだ
鎌倉の屋敷の基準はどうだったろうか
そういえば、若宮大路周辺のデータをつくりかけていた

続きは10月13日
明日は一関
今日の最高気温の第4位は京田辺で、第2位が京都だったと後で家の者に聞く
ゼミのみんなも頑張っているだろうか
頭を働かせて、手と足を働かせて
まとまっていくデータを前に考えを巡らせてごらん
必ず見えてくるものがある

2008年7月 9日 (水)

手間をかける

文化情報学部の1期生たちの学部最後の春学期が終わろうとしている
各自、就活に卒論にクラブにあわただしい日々を送っているようだ
彼らを見ていて思うことがひとつだけある
何事にも通じることだけれど
手間を惜しまないでほしい
やり直すことをおそれないでほしい
一見すると無駄な時間のように思えることであっても
何度かやり直しをするうちに
見えないことも見えてくることがある
学問に王道はなし
それはたとえどれほどパソコンのCPUが上がっても同じこと
頑張れ若者

とういうことで
久しぶりにコンターラインのトレースをおこなってみた
10月に善光寺でおこなわれるシンポジウムの準備である
思えばコンターラインのトレースの歴史は長い
旧石器遺跡の百花台の報告書を作るときに、長崎県のコンターラインのトレースをした
もちろんロットリング
一番大きな仕事はもちろん南河内の中世職能民の論文を書いたとき
その次は大坂城と上町台地の仕事をしていた時だった
まずは2500分の1の地形図のコンターを探して色鉛筆でトレースして
それを適宜縮小してあらためてロットリングでトレースをする
最近はデジタルマップのおかげてその機会が無かったが
善光寺の微地形はデジタルマップでは出ない
080709_101101 やはりコピーした原図に色鉛筆でコンターを探す
どの程度の縮尺が良いかと2度ほど図面を作り直す
その後、スキャンした原図をイラストレータでトレースする
現在の善光寺は、元々その北西にあった湯福川の氾濫原を造成して
作り直されたものという
問題は中世の風景である
3日かけてできあがった図面を見ながら
何度かやり直している間におもしろいことに気づく

頭の片隅では東大の高橋さんから教わった瀬田勝哉さんの即成院の論文の一節が気になる

2008年7月 7日 (月)

八幡市女郎花遺跡

2008年7月 6日 (日)

中世都市研究会のご案内

6日は和泉市で、和泉黄金塚古墳の記念シンポジウムがおこなわれました
戦後の日本考古学にとって
遺跡研究においても遺物研究においても
とても重要な意味をもち、その後の研究に大きな影響を与えることになったこの古墳について
調査にあたった森浩一先生の特別講演がひらかれた
ちょうど今、大学院で、この古墳からみつかった遺物をテーマにしており
学部でも、この古墳のある地域をテーマにした話を準備している
あらためて、当時の話を聞き、多くの情報を確認しながら
派生する課題の大きさを実感した時間だった

春学期はずっと郡山と田辺と京都を往復するばかりで
大阪は久しぶり
帰りの天王寺で、大阪の熱気に圧倒され、ここで過ごした14年間を少し実感

春学期もあと2週間
試験期間が終わるとすぐお盆だが
9月のはじめに開催される中世都市研究会の案内を東大の高橋慎一朗さんからいただきました

2008年度 中世都市研究会「都市を比較するーー東アジアの都市と住宅」へのご
案内


〔期日〕:2008年9月6日(土)・7日(日)
〔研究会会場〕:東京大学本郷キャンパス武田先端知ビル
◎最寄り駅  本郷三丁目駅(地下鉄丸の内線)、湯島駅又は根津駅(地下鉄
千代田線)、東大前駅(地下鉄南北線)、春日駅(都営三田線)
〔参加費〕:4000円(中世都市研究最新号「開発と災害」(仮)と当日配布資料
代金を含む)当日、受付にてお支払いいただきます。
〔懇親会会場〕:学士会分館(大学敷地内) Tel 03-3814-5541
〔懇親会費〕 :5000円
〔問い合わせ先〕:株式会社 新人物往来社 酒井直行 (東京都千代田区神田
錦町3-18-3 錦三ビル Tel 03-3292-3971  fax 03-3292-3972 Mail :
sakai@jinbutsu.jp

〔申込方法〕
電子メールまたは郵送にて、必要事項を記入の上お送り下さい。
なお、8月5日までとさせていただきます。
(1)  氏名 
(2)  住所 
(3)  電話番号 
(4)  E-mailアドレス 
(5)  所属 
(6)  懇親会の出欠 
(7)  9月7日(日)昼食用弁当(1000円程度)の予約の有無
(会場周辺には飲食店もございます)
(8)  来年度以降の案内の必要の有無

【電子メールの宛先】toshiken@jinbutsu.jp(申込専用)

【封書の宛先】〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3-18-3 錦三ビル 新人
物往来社内 中世都市研究会事務局

〔ご注意〕
◆9月7日(日)の昼は会場周辺にも食堂やコンビニはありますが、お弁当
(1000円程度)を準備いたします。ご希望があれば事前にお申し込みください。
◆会場には駐車スペースがありません。できるだけ公共交通機関をご利用のうえ
ご来場下さい。

〔当日スケジュール〕
9月6日(土)
12:30 受付開始
13:00 問題提起 五味文彦(人間文化研究機構)
☆第一部「東アジアからみた日本の中世都市」
13:10□東アジアにおける日本列島の中世都市 玉井哲雄(国立歴史民俗博物館)
14:00 □朝鮮半島の都市と日本の都市 韓三建(蔚山大学)
(休 憩)
15:00 □中国大陸の都市と日本の都市 包慕萍(東京大学生産技術研究所)
15:40 □ベトナムの都市と日本の都市 大田省一(東京大学生産技術研究所)
16:20 ◇コメント 村井章介(東京大学)
16:40 第一日目終了
17:30 懇親会 

9月7日(日)
☆第二部「東アジアにおける都市と住宅」
9:30 □鎌倉 岡陽一郎(青山学院大学)
10:10 □十三湊 鈴木和子(青森県教育委員会)
(休 憩)
11:00 □益田 木原 光(益田市教育委員会)
11:40 □博多  佐伯弘次(九州大学)
12:20 昼 食
13:20 □豊後府内  坂本嘉弘(大分県埋蔵文化財センター)
               (休 憩)
14:10 ◎シンポジウム
司会進行(玉井哲雄・小野正敏・川本重雄)
16:00 閉会

この前後、善光寺と鎌倉と四国と九州
そして楽洛キャンパス夏合宿が終わると
もう季節は秋

2008年7月 4日 (金)

伏見を調べる

伏見を調べ始めている
伏見の何をテーマにしようかと模索しながら
頭をめぐらせていて
以前に善光寺を調べていたときに頭の隅に引っかかっていた紀寺系瓦の分布を思い出す
南山城は古代寺院の多いところだが
京都盆地周辺は平安京前夜の様子が実はあまりよくわかっていない
東山周辺もそのひとつで
伏見と言えば、深草遺跡と稲荷大社と秦氏だが
それ以外は詳しい研究が無い
古代寺院はその謎を解く鍵
というわけで伏見の古代寺院に注目しようと思う
法性寺跡、極楽寺跡、深草寺跡、安楽行院跡、貞観寺跡、嘉祥寺跡、おうせんどう廃寺、がんせんどう廃寺、板橋廃寺、御香宮廃寺、大日寺跡
伏見稲荷のすぐ南
名神高速道路付近に、伏見の古代寺院がとにかくたくさん集まっている
これは何によるもののなのだろうか
そしてもうひとつ絡めるテーマとして道にも目を向ける

ということでテーマが決まったら
次はデータの収集
幸い京都市の文化財保護課のページに遺跡地図と遺跡台帳が公開されている
さっそくアクセスして必要な部分をプリントアウトして赤ペンで
寺院名と範囲など必要な情報を書き込む
続いて台帳に参考文献も紹介されているので
必要な項目をプリントアウトして
参考文献をリストアップする
京都市の文化財保護課のページはシンプルだが
とても有意義な歴史情報を公開してくれていて
この種のサイトの手本だと思う
もちろん、平凡社の歴史地名大系のページをめくり
これらの古代寺院についての項目もチェックをする

ということで、準備が整った
ゼミのみんなもテーマがかたまりはじめ、先行研究の調査や資料調査に入りはじめている
さて、こちらも参考文献を入手して問題の検討に入っていこう

2008年7月 2日 (水)

寒梅研究会行われる

7月2日に、寒梅研究会がおこなわれました
幹事さんは、この4月から文化情報の大学院に来た古田くん
メンバーには、京都府立大学から歴史地理の上杉先生と
新院生のSくんも加わり
また、今回は京大の大学院を無事修了したMさんの報告もおこなわれました

各人の個々のテーマとする時代は
古墳時代から江戸時代まで
時代も資料も異なってはいるけれど
今、どのテーマでも求められているのは

何時、誰が、何処で、何を、何のために、どのように
という、エピソードまたは出来事または事件の厳密性
それは、時代が違っても資料が違っても変わらないもの

それをしっかりやることが、この学問の一番の大元
ここで言うしっかりやっているかどうかということは
単に細かく調べているかということではなく
調べている対象をわかって調べているかということ

少しかたい言葉にすれば
歴史的景観復原と空間構造
次回は上杉先生のお話
詳しくは右のリンクから

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