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2008年8月26日 (火)

阿波公方

徳島は今日も雨だった
先週の長岡京も雨、鎌倉も雨、京都も雨
どうも雨男になったような

徳島県阿南市へ行く
阿南市と言えば、そのすぐ北に阿南市立阿波公方・民俗資料館がある
阿波公方(平島公方)とは足利幕府10代将軍義稙の養子で阿波を拠点とした義冬(義維よしつな)とその子孫のこと
館の場所は阿南市那賀川町古津居内で
周囲約110mの規模で現在もお屋敷跡などの地名が残ると言う
この阿波公方が実は同志社大学と少し関係がある

8代義政の後を継いだ9代義尚は義政と日野富子の子であるが叔父の義視と後継争いで応仁の乱の原因のひとつとなった
その結果政治の実権は管領に移り、将軍は管領の闘争の中で生きることになる
義尚に子がなかったため
10代将軍を継いだ義稙は義政の弟の義視の子で
細川と対立して富山へ逃げ、その後京へもどるが、再び細川と対立して阿波へ
阿波公方の義冬は、この義稙の養子であるが
実は11代将軍となった義澄の子であたのでややこしい
11代義澄は義政の弟の堀越公方足利政知の子で
義稙と義澄は対立していたため
9代義尚(義政の子)の後は
8代義政の弟筋の間での抗争が足利政権の歴史となったとも言える

そして義澄の後、一時義稙が将軍職にもどるが
再び細川に追われて京を離れたため
それを継いだのが我らが12代義晴、義澄の子である
もちろんサポートしたのは細川でその情景が上杉本にあるというのは周知のとおり
そして上杉本洛中洛外図に載る、寒梅館地点の室町殿(今出川公方)の義晴は
阿波公方義冬の兄弟だったのである
つまり
上杉本洛中洛外図の公方の館と阿波公方の館は兄弟の館と言えるのである
阿波公方の館とその周辺の風景とはいかに
ということになる

その後の13代義輝は義晴の子で義冬の甥
14代義栄は義冬の子で義澄と義稙の孫にあたり
15代義昭は義晴の子なので
応仁の乱以降の足利家の歴史は、阿波公方の歴史とかなり密接に関わっていたと言える
そして義政の二人の弟の中の政知側の勝利の歴史だったとも

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