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2008年9月 7日 (日)

根津の谷

東京はどこへ行っても六本木ヒルズとお台場冒険王ばかりかと思っていたら
根津は全く違っていた
地下鉄の駅を出て東大を探す
改札前の地図を見てなんとかなるかと思ったらまったくわからない
えらいこっちゃと思ったら目の前に看板を持った院生がいて救われる
地理感覚はあるつもりでいたが
頭の中でデジタルマップをまわしてもどうもしっくりこない
とにかく谷である
南東の東大へむかう登り坂と
北東の上野のお山へ向かう登り坂にはさまれた
根津は谷の町である

カシミールを立ち上げてなんとか場所を探し出すと
神田川を見下ろす湯島の台地から北へ続く台地にのっているのが
加賀藩邸と水戸藩邸の東大
根津の谷はその東を南から北西へゆっくり彎曲してのびる谷
北東に見えた登り坂は山手線日暮里の脇に見えるあの崖
そこから東は荒川の大氾濫原低地
次に台地に登るのは松戸になるので
なるほど葛飾は低地だとあらためて実感
ちなみに東北線の上野から東十条までは
この大氾濫原の段丘崖をなぞって走っている
さすが東北線は、東京の地形を良く知った由緒ある路線である

根津から不忍通りを少し北へ行くと根津神社
途中に金太郎飴の店があり
銭湯があり
表具屋がある
とてもなつかしい路地裏があって
下町そのものである
根津神社は元は千駄木にあったと言われる中世に遡る神社
千駄木はどこかと探したら
不忍通りをさらに北へいった場所
言い換えれば谷をさらに遡った場所
詳しいことはわからないが
駒込まで行くかどうかわからないが
根津の谷奥に置かれた開発領主の産土神だったのではないだろうか
地形を見れば東京の中世も見えてくる

根津から東へ向かうと谷中の墓地
その途中に観音通り商店街というものがあって
どこに観音があるのかと探していたら
龍興山臨江寺というお寺があって
蒲生君平の墓があった
京の宅はたしか黒谷の近くにあったと思う
今日の会場の脇には弥生遺跡の碑が建っている

蔚山の邑城の報告はとても有意義だった
最近出した本に少し書いているが
秀吉の京都と漢城の関係を一層印象付けたと思う

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