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2008年11月27日 (木)

阿武隈川と渡良瀬川

会津若松も郡山もどうしてSuicaが使えないのだろうかと訝しみながら白河へ向かう
白河へは東北本線で約30分
広い平坦な台地が続く
こんな風景のどこに関が作られたのだろうと思いながら白河に近づく頃山が目に入る
白河関は白河駅から福島交通のバスで約30分
城下町の姿をそのまま残す古い町並みを抜けると
ほぼ旧東山道に沿って低い山並みの間の谷を南下する
バス停の名前に「宿」が着くとまもなく関

白河関は古代東山道の陸奥国入口に置かれた関所
関としての意識は古墳時代にさかのぼるとされ
公式には9世紀の太政官符で俘囚の出入りと商人の官納物買取りを防ぐためとする
この時、同時にいわき市とされる菊田関(勿来関)がみえ
(日本海側は山形と新潟の間の念珠(ねず)関)
取り締まりを長門国関並にすると申請されているため
都から見たときの東西の境界意識がわかる
なお南北朝期の「河海抄」は、平安初期に蝦夷に対する備えとする
また鎌倉時代には関としての昨日は失われていたとも言われる

昭和30年代に発掘調査がおこなわれ
二重の柵木に囲まれた平安時代の竪穴住居群ほか掘立柱建物跡群・鍛冶工房跡などが発見された
独立丘陵を改造して利用したもので
北に白河神社が鎮座し、南に大規模な壕を巡らせた館をもつ
昨日の陣が峯城を彷彿させる

現在の場所は阿武隈川の支流にあたる社(やしろ)川の最上流部で
すぐ南が栃木県境
国道とも東北本線ともおおきくずれた東に位置する
どうも土地勘が無いのでよくわからなかったが
阿武隈川である
仙台から延々と福島と郡山を経由して南下して遡ってきた阿武隈川の終点が白河で
そのさらに支流の終点が白河の関なのである
この川より北は奥州で
この川と分かれて栃木へ入ると那珂川が南東に流れて茨城の水戸で太平洋につながる
さらに那珂川からまた山を越えて宇都宮に入れば鬼怒川で
そこから先は坂東の広い台地が広がり、利根川、荒川が南をめざす
白河の関は阿武隈川に代表される奥羽水路と
那珂川鬼怒川に代表される北関東水路の
おおいなる分水嶺ということになる
阿武隈川を遡ってきた人々は
ここで奥州との別れを告げ
鬼怒川と那珂川を遡ってきた人々は
ここを過ぎることで別の世界に入ることを実感する

ちなみに一遍は江刺へ向かう途中
栃木の小野寺から42歳で(1280 弘安 3)ここを通過している
天気予報が半分あたり
白河を出る直前に雨が降り始めた

両毛線の岩舟は栃木から二駅西の下野国
次の駅は佐野
黒い土と広い台地
いかにも武士がいそう
駅の北に大きな岩山がある
タクシーの運転手さんと話しをしていたら
ここで映画のロケがたびたび行われているという
一遍が立ち寄った小野寺は大慈寺とされるが
最寄りの駅はこの岩舟で、公共の交通機関は無い
ただし下野の名刹で
駅前のタクシーは慣れた道を走り出す
岩舟から東北道を越えて北西へ約7キロ
マクロ的に見ると
下野の台地の北の端で
この寺の北の山の先は日光の男体山
そのずっと先が猪苗代湖と磐梯山
奥羽山脈の最南端である

行基の開山とされる大慈寺は
延暦13年(794)に都賀郡に産まれた円仁(慈覚大師)が
9歳から15歳まで修行した寺として有名で
境内は円仁にちなむモミュメントが多い
最澄の弟子として名高い円仁が東国出身とは気づかなかった
以前から森先生が東国の古代の知識人層に注目していたことを思い出す
残念ながら一遍にちなんだものは見あたらない
だが、一通りまわって境内を出たところで出会ったのが「村檜(むらひ)神社」
7世紀に遡り熊野神社と日枝大神(大山咋神)を迎え
祭神は誉田別(ほんだわけ)命
式内社で下野三之宮
室町時代の三間社春日造は重要文化財
誉田別命と言えば石清水八幡宮である
つまり太平洋の熊野社と日本海の日吉社と源氏の八幡宮と
諏訪はないけれど会津同様にすべてが揃っている最強の神社である
神殿の背後の斜面には「石清水」が湧きだしていた

さらにこの神社の正面はそのまま現在の道につながっている
視野を広げれば
背後に山を背負い
左右にその続きの尾根が延びる
平地はその間を三角形に広がっていく
その中央左手を川が南下する
これまで何度も見てきたような典型的な開発領主型の風景である
おそらく、この神社の真下には領主の館がおかれ
街道にそって集落がみられたと思われる

この川はやがて渡良瀬川と合流し
その先が古河(公方のおかれた)である
非常に面白いのは
東西に流れる渡良瀬川や利根川に対して
奥羽山脈の谷谷から流れる川を単位に
東から栃木、小野寺、佐野(鋳物師)、足利、世良田とならぶ
まるで東国武士の拠点の団地のよう

九州の大友や信濃の伴野の市庭と小田切里や父を小笠原信濃守長清とする大井太郎朝光もそうだが
一遍は地域の拠点を選んで遊行をおこない
ここも同様であったことがわかる
さらにここは一遍の遊行地のもうひとつの特徴である宮と宮前も含んでいた
ゆえ
ここもまた大いに意味のある景観だったことになる

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