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2008年12月 5日 (金)

備前一宮

 一遍は、九州での遊行を終えると京都へ向かう。その途中で寄ったのが藤井の館と備前福岡の市である。
 このうち備前福岡の市はどの教科書にも載っているほど有名で、現在の場所も特定されている。JR赤穂線の長船駅の北にあたる吉井川沿いの集落である。
 この備前福岡の市の場面が描かれた理由は、藤井の館で、ある出来事があったことによる。したがって藤井の館の出来事が無ければ備前福岡市も無いことになる。その意味では備前福岡の市より藤井の館の方が、ずっと重要だと言うことになる。
 しかしこの藤井の政所がどこにあったのかは判然としていない。その館の主が吉備津宮の神主の子息だということで、およそその近くとイメージされている。ただし周知のように吉備津彦神社も吉備津神社も岡山駅から北西の位置にあって、長船から遠く離れている。
 さらに一遍は、1276年に筑前、1277年に大隅の正八幡宮、1278年に豊後府内 大友能直孫の頼泰を経て、1278年の伊予の後、1278年に安芸厳島そして藤井の政所に着いているので、陸路より海路をとった可能性が高い。
 そこで海側で藤井の地名から推定されているのが、宿毛の西大寺一宮安仁神社である。その名の通りに式内社の備前国一宮である。現在は片田舎だが初詣は大いに賑わうと言う。
 場所は赤穂線西大寺から南東へ約8キロ。西大寺駅から南東へ吉井川を渡り、神崎山から東へ折れ、牛窓へ向かう途中をさらに南下した先に鎮座する。
 牛窓へ向かう県道を宿毛で南へ曲がると、左手に低い丘陵が見える。その先は水田の広がる平坦地で、またその先に丘陵がのびる。
 安仁神社は、このふたつの丘陵にはさまれた水田の東の奥に位置する。マクロ的に見れば、西へ向かってのびるふたつの丘陵に挟まれた平坦面の奥に鎮座しているということになる。
 こまかく言うと、ふたつの丘陵のうちで、南側の丘陵の支脈と思われる尾根の先端を利用して営まれているが、元々はその奥の山頂にあったという。
 そしてそこから西をみれば、その先に入り江の水面が見える。吉井川の河口に最も近い水門湾の入り江である。言い方を変えると、吉井川の河口港(神崎川の大物浜のような)を押さえていたのが、安仁神社だったということになる。
 したがって、一遍が海路を吉備へ向かったとき吉井川を遡る前に立ち寄るとした最もふさわしい場所と言えよう。
 西大寺へ戻る途中に観音院に寄る。創建は古代に遡り、さらに後鳥羽も関わっているという。千手観音を本尊とする観音霊場である。仁王門は西を向くが、本堂は吉井川を向く。明らかに吉井川の水上交通を意識した寺である。実際にその北の町並みは西大寺が港だった頃の面影を強く残しており、港の象徴とされる浜倉の榎の巨木が、その中に立つ。
 一遍の時代にもおおいに繁栄していたことが予想されるが、絵巻には登場しない。見えない過去は多い。

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