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2009年6月22日 (月)

川西遺跡

徳島駅から眉山の南麓を回り込んで車で20分足らずのところにその遺跡はある
徳島市街の南を流れる園瀬川がつくりだした広い低地を過ぎ
大きく蛇行して南西の山地に入る手前が、その遺跡の立地になる
6月14日に現地説明会が行われた
緑泥片岩を利用した護岸施設が見つかり
その変遷は鎌倉時代から室町時代始めころまでの技術史解明につながる
貴重な成果を示すものである

さらに個人的には、そのこととさらにもうひとつ
日本の中世史研究にとって非常に重要な研究がこの遺跡から
始まる可能性があると考える

去年から一遍を追いかけて中世都市成立期社会の景観復原的研究をおこなっている
その一遍が晩年に徳島から淡路へ渡るが
徳島の場面は、吉野川中流の鴨島から先が無く
いきなり淡路の湊に着いてしまっている
阿波と言えば湊が多いことで有名なイメージが先行するが
一遍は阿波のどこから淡路へ渡ったのだろうか
一遍の立ち寄った場所をみれば、一宮などの賑やかな地域拠点や
備前福岡や石浜のように交通の要衝が多い
当然阿波においても同様な場所から出立したと考えるのが自然だろうが
それがわからない
まったく名もない湊だったのだろうか
そんな思いを半年ほど前からしていた矢先のニュースだった

すでに3月に、鎌倉時代の木製品が大量に出土したと発表され
将棋の駒や漆器など当時の生活文化を彷彿とさせる遺物が見つかっていた
どんなところだろうと思いながら行ってみた最初の印象が
現在の南さつま市
かつての金峰町と加世田市の境を流れる万之瀬川に関わる調査で発見された持たい松遺跡の風景

広い低地に姿を変えた河口から少し遡った場所で
万之瀬川は、この場所から大きく蛇行して薩摩の山塊に入り込む
その川を横切って薩摩から肥後につながる道がのび
遺跡はその交差点
鎌倉時代を中心とした大量の陶磁器が見つかった
加世田市側から川を渡ると金峰山を正面に見上げる台地
麓に観音寺がおかれ門前の町並みがひろがる
河口付近には唐坊の地名が残る
九州島の南西岸を代表する港湾都市遺跡として注目された

川西遺跡からは
かわらけの大量廃棄など一般の生活とは違った性格の遺物も見つかっている
一キロほど川下には寺山遺跡と呼ばれる鎌倉時代の集落遺跡があり
金剛光寺址との関係が指摘されている
川西遺跡の南に現在走る国道は
園瀬川をわたり西へ進むとすぐ国府の地区につながる
国府地区への表の玄関は吉野川の支流であるはくい川だろうが
徳島市街から川西遺跡にいたる途中は海抜が低く
かつては海が奥まで入っていたことも考えられる
ここを経るルートも有力な交通路だったにちがいない

周知のように鎌倉時代の交通路と経済は寺社が大きな役割を担っていた
川西遺跡に鎌倉の前浜地区の風景をダブらせながら
持たい松遺跡と対比させれば
ここもまた限りなく海湊の役割を持った川湊の遺跡ではないかと
そして一遍が出立したところも
こういった風景だったのではないかと
中世都市成立期のとくに港湾都市の研究を大きく前進させる遺跡だと思う
今後の研究に期待が寄せられます

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