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2009年7月27日 (月)

中世前期における地域社会の萌芽について

本日は非常に興味深いテーマの研究会に参加させていただきまして
誠にありがとうございました
専門の異なる人間ですので、的外れなことを言うかもしれませんが
感想をお話させていただきたいと思います
中世前期における地域社会の特質を探るという非常に重要な問題提起でございますが
それではそういった地域社会というものをどのようにとらえたら良いのだろうかということを
昨日から考えていまして
先ほどもお話に出ましたが、地域社会と言うには
やはり「自立した」という形容詞が必要ではないかと思いました
そこでそのための条件が何かと考えていましたところ
とても重要なヒントではと思われるキーワードを教えていただきました
それがなにかと言いますと
武雄のお話で出た伊万里ではないと思います
武雄が伊万里を求めたのは港がほしかったからではないでしょうか
実は同様なことは、北陸でもお話をされていて
首都圏の加賀は羽咋と七尾が伴って完成すると
これも港でございます
言い方を変えると地域社会が別の地域社会と交流するときの窓口でございます
さらにもうひとつ
益田のお話がありましたが
益田には三宅御土居ともうひとつ海岸部に五福寺と呼ばれた中心があります
近年そこでふたつの港湾遺跡がみつかっており
それらが一緒になった益田の地域社会を構成したことがわかってきました
中世前期の地域社会の特質を「自立」に視点をおいて考えたとき
こういった見方が手がかりになるかと思いました

それから、自らにかえって中世前半の地域社会はどこかと考えたとき
南河内の石川沿いが最もわかり易いのではないかとも思いました
しかもその成立は河内源氏が本拠をおいた時以降ですから
まさに中世前期の初めにあたります
その後、石川源氏に変わり、石川庄が立てられてより地域社会が明確化します
そしてそのとき注意しなければならないのが
先ほどからお話に出ていました地域社会の「コア」の問題です
実は、この石川沿いの地域社会は
はじまりは河内源氏でしょうが
その後は西国三十三所霊場のひとつでもある葛井寺が「コア」になり
その西にあった道明寺と西琳寺が街道筋にあって市と宿を兼ねた
地域社会の窓口になったと考えています
そういう点で、地域社会の「コア」をどのように見るかもまた重要なポイントになると思います
そういえば、この時期の有名人である一遍は遊行して全国各地をおとずれています
ご存じのように、けっして意味の無い場所へ行ったわけではありません
一宮が多いとも思われますが
いずれの地も地域社会になっていたはずで
一宮などはその「コア」のひとつだったと思います
個人的には、小笠原が入った佐久から伴野も立派な地域社会の典型だと思いますが
今回のお話をお聞きしながら
そういった中世前半の風景を見直すたくさんのヒントをいただきました
ありがとうございました

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