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2009年8月16日 (日)

六浦

金沢文庫でおこなわれた港湾都市の企画展には間に合わなかったが
せめて図録だけでも手に入れて、さらに港湾都市の目で六浦を見ようと京急に乗る
考えてみれば、六浦を鎌倉の外港と言っておきながら
六浦がどんなところか検討をしないままきていた
それはひとつには、六浦が鎌倉の外港ではあっても東へ向いた外港であって
中国陶磁器に代表されるような西への外港ではなかったという思い込みによるかもしれない
けれどもそんな思い込みはまったくの間違いだった
あらためて見る称名寺は、浄土思想をそのまま形にしたような庭園空間
背後には金鶏山に代わる金沢山、五位山に代わる金沢山
思わず平泉の毛越寺を思い出し、法金剛院を思い出す
正安の梵鐘に感動し、北条顕時と金沢貞顕の墓に詣でて
鎌倉時代の隧道の脇をくぐりながら、やはり六浦は鎌倉だと思う
元仁元年(1224)におこなわれた陰陽道の四角四境祭で
鎌倉の東の境界として記されていることを確認し
六浦の旧地形のパネルに驚いて図録を片手に表に出る
エントランスホールに置いてある遺跡調査の模型を見て
思わず鳥羽殿だと思ってしまう地業の石敷き
こちらの人はよく知っていることだとは思うが
近世初期の金沢八景要図を見て
六浦がみごとな港湾都市地形であることに驚いた
金沢文庫駅から称名寺へは16号線を渡るとすぐに登りになって
登り切ったところが称名寺
称名寺の山門でぐるりとまわりを見渡すとよくわかるが
称名寺をすぎるとすぐに下り坂
旧地形をみれば、金沢文庫駅は内川入江の中にあり
称名寺はその東に位置する金沢山の南麓に造営されており
そのすぐ東は東京湾、南も平潟湾につきだした細長い砂碓?の突堤を臨む
近世の地図に描かれている道と同じ道がまっすぐ南南西にのびており
途中に寺社が並んでいる
これは博多の風景だと思いながら突堤先端の洲崎(砂州の先端)へつくと
現在もそこから先は海
正面に八景島へ向かう高架が見え、西に瀬戸神社の鎮座する尾根の先端が見える
Dscn1410 これで旧地形をつかんだと心を躍らせながら琵琶島をめぐり
金沢八景駅の南の線路をくぐって
大汗をかいて上行寺東遺跡の遺構展示へ
上行寺で壬辰銘の宝篋印塔を拝み、吉田兼好の閑居があったことに驚きながら
かつての内湾の跡をたどりながら金沢文庫駅にもどる
六浦の地形はみごとな入江と潟をもった天然の良港であり
相模と武蔵を代表する港湾都市だった

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