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2010年2月22日 (月)

26番に乗って

楽洛キャンパスの準備で広沢池へ向かうために
市バスの検索ページをみたら、京都駅から26番に乗るとある
おそらく初めての乗車で、駅前の乗り場の場所もわからない
なんとか乗ると、バスは烏丸を北上し、一路四条へ
四条から西へまがって、バス停は交差点からだいぶ離れた室町の近く
京都駅から四条までならば、ほとんどの人は地下鉄を使うだろうから良いのだろう
四条通を西へ
ここまではなんということもないコースだが
ここから先は、知る人ぞ知る京都の有名観光地巡りとなった

四条大宮をすぎて間もなく南に見えるのが隼社(はやぶさのやしろ)
『三代実録』の貞観2年(860)に登場し、『延喜式』には「京中坐神三座」のひとつとして記さ、朱雀院内に祀られた神社と考えられている。後にに左京四条坊内坊城小路に移され、さらに大正9年(1920)に元祇園梛(なぎ)神社に並んで祀られた。

新撰組で有名な壬生寺は
さらに院政期にさかのぼる由来もある壬生寺は
見えないけれどもそのすぐ南
新撰組にあこがれて京都にきた人は
近隣の新撰組にちなむ雰囲気に堪能しながらも
あれほど有名な壬生寺が
意外にも現在の京都の中心部から離れていることに驚く
三条河原町へ出るには
大宮まで歩いて、阪急で二駅乗って、さらに京阪で一駅である

すぐに嵯峨野線をくぐる
その手前の細い通が千本通で
世が世ならば朱雀大路のメインストリート
そう言えば鳥羽の小枝橋の石碑にも千本通の文字があって
そこが平安京の中軸線とその延長だと気づく
京都には、そんな土地の記憶がいたるところにあることが面白い
嵯峨野線をくぐった先の北の大きな工場が朱雀院跡
面積8町といえば約9万平米を超えた巨大な後院(天皇の別宮)
嵯峨天皇皇后の橘嘉智子が居所とし
寛平8年(896)の新造後は、宇多・朱雀上皇が後院とし醍醐天皇の行幸も多かったという
平安宮に次ぐ、平安京の重要地点がここにあったことになる
四条の右京である
よく言われるように、右京が単純に衰退したと考えられない証拠のひとつである

朱雀院の石碑は、以前は会社の柵の向こうにあったが
今はその部分だけ柵が取り払われて
代わりに透明のアクリル板になっていた
源氏物語効果なり
そしてこのすぐとなりにあの池亭記に登場する源高明の邸宅があった

四条を西大路で北へ曲がるとき、かならず信号待ちをする
その時に北をみれば淳和院跡の碑がある
別名を西(さい)院といい、淳和天皇の後院だった。
一緒に建つ西院之河原の石碑は、天神川の氾濫で荒廃して河原となったことに由来すると伝わる

西大路をずんずんと北へあがる
烏丸を中心に生活をしているものにとって新鮮な風景がつづく
嵐電をすぎ北野白梅町に近づいたところで
こんなところをまがるのかと思うような狭い道を西へ入る
しかし実はこれが平安京の北の境となった一条通
すぐ東が大将軍の商店街
わが上京区の西の境でもある

バスはせまい一条通を西へ逝く
バス停の名称に等持院の南とある
さらにその先には妙心寺の北門が近づく
その向こうの京福電車の妙心寺の駅が西京極大路だから
バスは、平安京の北西の隅から京外へ出て行くことになる

そんな平安京の余韻に浸る間もなく仁和寺の門前へ
現在の京都会館から動物園にかけての一帯に白河天皇が
六つの勝の字の付く寺を造営はじめた前
実はこのあたりに4つの円の字のつく寺が建てられていた
円融天皇御願の円融寺は永観元(983)年に落慶供養
一条天皇御願の円教寺は長徳4(998)年に落慶供養、母は兼家の娘詮子
後朱雀天皇御願の円乗寺は天喜3(1055)に落慶供養、母は道長の娘彰子
後三条天皇御願の円宗寺は延久2(1070)に落慶供養

今はその痕跡を見ることはできないが
時代は道長の時代である
白河天皇の発想の原点
白河天皇がなにを使用としたかをうかがうことができる寺群として重要である

観光客があふれる仁和寺の門前でもかならず信号待ち
すぎれば福王子神社
祭神は宇多天皇の母で光孝天皇の后班子女王。
仁和寺の鎮守ともされるが、当地の産土神
この交差点を北へ曲がれば高尾の神護寺と高山寺
背後にも平安時代の由緒がひかえていた

そしていくつかの登りと下りを経て山越へ
南には嵯峨野古墳群のひとつである音戸山
その先はすぐに広沢池
そして大覚寺と清凉寺
したがってかつての一条大路の後裔である一条通は
平安京を出ると、等持院、妙心寺、仁和寺、大覚寺、清凉寺に面して
その先に、二尊院と祇王寺、そして化野念仏寺まで
吉田神社を基点として、とても有名な京都の名所をつなぐ線だったことになる
そして市バスの26番は、そのうちの西側半分をめぐるルートをたどっている
京都駅から約50分
誰が考えたか知らないけれども
おすすめの市バスルートである

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