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2010年3月

2010年3月28日 (日)

春爛漫

春爛漫


from 鋤柄俊夫
同志社大学 文化情報学部
http://tsukigar.doshisha.ac.jp/

2010年3月27日 (土)

新入生の上洛を見守る中央駅の桜島

強い桜島


from 鋤柄俊夫
同志社大学 文化情報学部
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2010年3月26日 (金)

西の鎌倉

島津忠久の伝承を持つ中郡遺跡を歩く
九州新幹線の出水から肥薩おれんじ鉄道に乗り換えて野田郷で降りる
そのままNさんの案内で真っ直ぐな道を北へ向かう
一昨日関わっていた相国寺派の
感応寺を通り過ぎる
島津五代の廟社がある
石造さらに仁王が目を引く
その石造仁王の隣に鎮座しているのが筥崎宮を勧請した八幡社
忠久が薩摩へやってくる途中に玄界灘で暴風にあい、筥崎宮に祈願して難を逃れたことにより、勧請されたもので、最初は野田の不動原にあった極楽寺の鎮守だった。その後出水に移され、ここに鎮座したのは明治になってからと言う

感応寺をすぎてしばらく行くとやはり島津忠久にちなむ熊野神社
鎌倉時代の居館が連なる中郡遺跡は、これらの社寺をふくめたなんぼくにのびる野田の丘陵先端を中心に展開する
地名は屋地(やじ)である

新聞報道で周知のように、景徳鎮製の青白磁龍首水柱片という高級な中国磁器が出土し、さらに龍泉窯系青磁連弁文碗に代表される13世紀を中心とした時代の遺物がみつかった。
また、堀跡や掘立柱建物跡・竪穴建物跡なども見つかっている。

詳細な検討は、調査と整理の進行を待ちたいが、見つかった遺構と現在の地割りをみれば、今の風景が鎌倉時代にさかのぼる可能性が考えられ、この遺跡によって中世前期都市研究が大きく前進する予感がある

たくさんの話題はあるが、今一番注目したいのは地形の特徴
八代湾の水面に向かった遺跡の丘陵は、現在その東西を水田に囲まれているが、一見して、かつてはそこに海が入っていたと思わせる姿をしている

北から西を流れる岩下川の向こうには、木牟礼城と別の城跡があり、それも、その間を水面があったとすればわかりやすい
想像をたくましくすれば、中郡遺跡と対岸の城跡の間に船が入り、どこかに舟入がありそうな気にもなってくる
そしてそう考えると、この風景は、あたかも平泉や筑波の水守の宿館のようにも見えてくる
検証しなければならないことは多いが、この遺跡が鎌倉時代を代表する館の遺跡であり、しかも海上交通に関わった遺跡であることは間違いないと思う
いろいろな意味で
西の鎌倉と言っても過言ではな

やさしい霧島

霧島


from 鋤柄俊夫
同志社大学 文化情報学部
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肥薩おれんじ鉄道風強し

肥薩おれんじ鉄道風強し


from 鋤柄俊夫
同志社大学 文化情報学部
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癒やしのつばめ

つばめでホット


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同志社大学 文化情報学部
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スイカのこまち、スゴカのつばめ

博多晴れ


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同志社大学 文化情報学部
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2010年3月25日 (木)

博多駅工事中

博多はぬくいが工事だらけ


from 鋤柄俊夫
同志社大学 文化情報学部
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凍える京都駅

凍える京都駅


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同志社大学 文化情報学部
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Facusangi

百済寺
東近江市の東山麓に所在する有名な山岳寺院である
聖徳太子と渡来系氏族の関係を起源に伝える
戦国期には城塞化した坊が数百と連なり、フロイスはその見事さを、「地上の天国」と表現した
(百済寺という大学には、多数の独立した僧院および座敷と庭を備えた地上の天国である坊主の住屋が一千戸あった)
調査のお手伝いをすることになり能登川に着く
午後から雨が弱まると言われながら
空には思い雲が重なっている

史料は平安時代終わりに天台末となった時から始まる
天台末と言えば、近江関係では日吉神社や白山社が有名だが、近江だけではなく、大山寺も、そういえば大宰府の宝満山も

その後の百済寺と言えば
なんといっても現在も良くその姿を残している雛壇型の多くの坊跡が特徴で
注目はどうしても戦国時代に集まる
けれども史料をたどれば鎌倉時代も大いに興味深い存在だったことがわかる
天福元年(1233)法性寺の座主、慈賢が自寺を離れ、花樹に彩られた庭園のある百済寺に脱出(明月記)。
天福2年には、前の天台座主良快が、延暦寺の無動寺末だった百済寺を慈源に譲る。
この良快は九条兼実の子で、慈源は兼実の孫の九条道家の子だという。
兼実は法性寺殿と呼ばれた人物だが、それを含めれば、四代にわたって九条家と関係をもっていた寺だったことになる
言うまでもなく、九条兼実も道家も鎌倉幕府と深い関係を持っていた人物で
道家がひらいた東福寺は、石鍋によっても、博多と京都と鎌倉をつなぐ大きな存在だったことがわかっている

その点で、源平盛衰記にひかれる木曾義仲にちなむエピソードが、かならずしも荒唐無稽なものではなかった可能性を想像させてくれる背景である

敏満寺や京極の上平寺城にも代表される北近江の城塞化された戦国期の寺院については、勝山の平泉寺や根来寺と比較され、してきた

ただしこの数年、笠置寺や成相寺などに関わってくる中で、雛壇型に多くの僧坊がならぶ北近江の城塞化された寺院には
その背景に、大宰府の原山や宝満寺にあったような中世前期の山岳寺院の姿があったのではないかと思うようになってきた

その目で百済寺を見れば
本坊をとりまく坊跡には、明らかに異なったふたつの姿のものが見られる
そしてこの違いは、金胎寺や笠置や成相寺や三縁寺でみられたふたつの姿を想像させるものでもある
鎌倉も一区切り、昭和堂も一段落、今出川はこれからだが、何度かこの大寺に通い、敏満寺につながる新たな学びを得たいと思っている

2010年3月23日 (火)

北上川遡上

北上川を遡る

たしか昨年だったと思うが
会津坂下町の帰りに白河の関へ行った
その時、阿武隈川の本当の意味を初めて体感したのだが
今回は同じ意味での体感を初めて北上川でした

平泉へは何度も行っていて
平泉と北上川の関係はわかっていたつもりだった
けれども平泉より北の北上川についてはなにもわかっていなかった

平泉より北の奥州もまた
平泉に匹敵する豊かな土地がひろがっていた

江刺水沢でおりて豊田館へ向かい
えさし郷土文化館で豊富な資料を見て胆沢城へ
なによりも平地の広さに圧倒された

大和川に水をあつめる奈良盆地と同じ規模ではないだろうか
会津盆地のほんの一角を見た時も同じ感覚を持った
奥州の人は雄大だから
会津盆地に分布する館の距離を近いと言うが
奈良盆地のイメージではいたって普通
北上川の平地はとにかく広い
それはおそらく古代の中世の畿内の人間の想像を超えるものだったのではないだろうか

そんな広い北上川の平地の中で
豊田館はいわば会津坂下の陣が峰城のような姿を見せていた
あるいは、青森の中里城のような平安時代の防御性集落に似ていると言った方がいいのだろうか

そして胆沢城は
姿はともかく立地は柳ノ御所遺跡と瓜二つ
平泉が担ったものの意味が少しだけ見えた気がした
奥州市の埋蔵文化財センターの充実した展示に感動しながら
その感覚は志波城に立ったときにさらに強まった
やはり非常に中身の濃い盛岡市遺跡の学び館の展示を見ながら
日本列島と東アジアを考える大きなヒントがここにあることが

2010年3月22日 (月)

卒業式

卒業式


from 鋤柄俊夫
同志社大学 文化情報学部
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2010年3月21日 (日)

岩木山土偶黒石南部金鉄馬原敬

岩木山土偶黒石南部金鉄馬原敬


from 鋤柄俊夫
同志社大学 文化情報学部
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2010年3月20日 (土)

緑の町に舞い降りて‐Ode of Morioka‐

南部盛岡原敬

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奥州路

奥州路


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同志社大学 文化情報学部
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偉人の町、水沢

偉人の町、水沢


from 鋤柄俊夫
同志社大学 文化情報学部
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2010年3月19日 (金)

杜の都やや寒し

杜の都やや寒し


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同志社大学 文化情報学部
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大変な状況の時間帯

大変な状況の時間帯


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同志社大学 文化情報学部
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公暁や何処

公暁や何処


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2010年3月16日 (火)

天才達の気持ち

続 天才達の気持ち

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天才の作品

天才の作品


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天才の土産

天才の土産


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2010年3月15日 (月)

見事にカントクに一本とられました

見事にカントクに一本とられました
飛び抜けた才能を持ったアーティストたちの祭典に乾杯

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京都観学研究会本でました

京都観学研究会『大人の京都修学旅行 京の常識事始』刊行

本学と(株)JTB西日本が人文科学分野での産学連携として実施している、寄付教育研究プロジェクトのひとつ「京都観学研究会」が、2010年3月4日、書籍『大人の京都修学旅行 京の常識事始』を刊行した。この書籍は、京都観学研究会があらゆる世代の学習意欲に応えるべく企画している講座プログラム「楽洛キャンパス」の講座記録をもとに作成したもので、“京の心 平安の暮らし 源氏物語”をキーワードに、知的な京都を楽しみながら学んでいただくことができるのが特長。本書により、「大学+旅行会社」ならではの、これまでにない「京都観学」という新しい京都の楽しみ方を紹介している。

同志社大学ホームページからの引用です

京の鎌倉時代をテーマにして、小野篁伝説について書きました

2010年3月13日 (土)

楽洛キャンパス春の巻

今年は二日連続の企画
土曜日は「離宮の風景Ⅱ」を講義した後に、午後は山越から嵯峨野へ
広沢池から大沢池をめぐり、森先生の本に導かれてお松明会の準備で慌ただしい清凉寺へ
橘俊綱の作庭記を手がかりに
伏見山荘の原型と完成形を嵯峨院と遍照寺に探った

日曜日は井上先生とコラボで
上京の歴史と仏像をたずねて
丹後で味わった数日前までの寒さもゆるみ
ようやく春の日差し
お水取りも終わり
春がやってくる

2010年3月11日 (木)

丹後へ

京都府の調査で丹後へ
峰山の縁城寺から三縁寺へ
そして雪の宮津へ

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2010年3月 7日 (日)

信濃は一面銀世界

信濃は一面銀世界


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同志社大学 文化情報学部
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氷の世界

氷の世界


from 鋤柄俊夫
同志社大学 文化情報学部
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2010年3月 6日 (土)

考古学と中世史のシンポジウム

考古学と中世史のシンポジウム


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2010年3月 4日 (木)

京成でたくさん仕事が出来ました

京成でたくさん仕事が出来ました


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同志社大学 文化情報学部
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旧横浜正金銀行本店本館

旧横浜正金銀行本店本館

まったく偶然に
横浜で働く卒業生から声をかけられる
同志社OG
活躍しています

from 鋤柄俊夫
同志社大学 文化情報学部
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2010年3月 3日 (水)

相模へ

相模へ
開花予想が早すぎる
神戸から横浜へ
二大港湾都市をひとまたぎ


from 鋤柄俊夫
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海の回廊展

海の回廊展


from 鋤柄俊夫
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