« コメダのある風景 | トップページ | 八ヶ岳 »

2012年7月 3日 (火)

行徳についての覚書

谷口さんの話を聞いていて、思いついた所が行徳。
歴史地名大系によれば、本行徳村は、江戸川の左岸、南はすぐに江戸の海で、海辺は塩浜となっていた。
以前に行った時に、お寺の多さが気になっていたが、その集落は江戸川沿いに走る佐倉道に沿った街村で、さらにその東端から江戸川沿いに北上する木下と書いてきおろしと読む道もあったため、交通の結節点だったことになる。
中世にさかのぼれば、応安5年(1372)11月9日の藤氏長者宣写(香取文書)に「常陸下総両国海夫并戸崎・大堺・行徳等関務」とあって、一宮香取社が現在の江戸川を含む古利根川に設けた川関の一つで、香取社神主大禰宜家が関務の知行を藤原氏長者二条師良から保証されているという。
驚いたのはその先で、あの足利義満が同年12月14日に将軍家御教書を発している。水陸交通の要衝としてのあつかいとしても、これが普通のことであるか、異例なのかはわからないが、馴染みの人物が行徳に登場して、思わぬところでまたつながりを見つけてしまった。
江戸時代は幕府領で、農産物以外に荷積船運上・油冥加・酢造冥加・油絞冥加・醤油冥加が課せられていたようで、なるほど一般の農村ではなかったことがわかる。なお、製塩は近世初頭から始められ、元禄15年の名請人は53人(前掲検地帳)で、宝永元年(1704)の史料によれば、その年の高潮や前年の大地震による津波・高潮の塩浜被害が大きく、また正徳元年(1711)にも行徳と欠真間村・湊村の塩浜囲堤が大破している。
さて寺であるが、日蓮宗の本久寺・正讃寺・円頓寺・妙覚寺・妙頂寺・妙応寺、浄土宗の教信寺・浄閑寺・法泉寺、臨済宗大徳寺派長松寺、真言宗豊山派の自性院・徳願寺、浄土真宗本願寺派法善寺・常運寺などがあり、地名大系も、村の規模に比較して寺院の数は多かったとする。
ただしその理由についてはとくに説明がない。記憶が曖昧だが、あたかも寺町に似た風景だった気がする。次に行った時には、しっかり調べてみなければ。

« コメダのある風景 | トップページ | 八ヶ岳 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/584942/55149655

この記事へのトラックバック一覧です: 行徳についての覚書:

« コメダのある風景 | トップページ | 八ヶ岳 »