夢告館

2010年1月21日 (木)

丹波へ

今年の洛楽キャンパスで話をして現地も歩く予定の嵯峨野の先が丹波である
嵐山を気づかず通り過ぎ
保津峡の渓谷を途切れ途切れに見ながらトンネルを抜けると
一気に空が広がり亀岡の盆地に出る
タヌキの置物が並んで出迎え

中村直勝先生は
嵯峨天皇が愛した嵯峨の地の背景には、神仙思想につながる丹波の丹があったとした
森浩一先生はとばつびしゃもんてんに丹波を重視した政治の姿を見る
確かに
豊かな大地を持ち、京都のすぐ背後にありながら
それほど京都からは意識されることがないものの
その気になればあっけなくほどすぐに京都にでることができる
亀岡に亀山城下を築き、老ノ坂を駆け下りた明智光秀の動きもなるほどと頷けるところだと思う

仕事柄各地へ旅することが多い
基本的には公共の交通機関を使う
列車の中で景色を見て、地形を観察して、集落の配置を確認し、道と川に目を配る
たくさんの異なった情報を頭の中で再構築する
できれば現在の場所を相対化するために
地図も一緒に見るのが良い
最近はデジタルマップが普及しているからそれも使い
携帯のgps連動マップを使う時もある
今まで解けなかった謎の手がかりが得られたり
新しい発見もそんな時にうまれることがある
そういう意味では列車の中がもうひとつの研究室だと言えることにもなる
園部は森浩一先生が調査をした古墳のある場所でもある
なぜここでそんな古墳が築かれたのか
亀岡から綾部の間の風景を頭の中に再構築しながら考えをめぐらせる
丹後を含めた丹波は
東海とも強いつながりをもっている
崇神天皇が全国に覇権を示すために選んだ地のひとつが丹波だった
丹波には一体何があったのだろうか

帰りはHさんと一緒
すっかり暗くなって外は何も見えないが
これからの新しい活動についての四方山話に花が咲く
実はある研究会は
数年の前のこの情景の中から生まれた
また新たな企画がこの情景の中から生まれる予感がする
列車の旅は
そんな楽しみもある

2010年1月20日 (水)

夜行バスの思い出

今日、新ゼミ生のUと話をしていたら
昨日、東京から夜行バスで帰ってきたばかりだという
そういえば、Lは今頃夜行バスの中
昼のツイをみれば、Nは千駄ヶ谷にいるようだ
就職活動本格化である
夜行バスといえば
昔も今も学生の移動手段の王道
ただし、九州方面はフェリーも数多く使った
カップラーメンとビールを買い込んで
瀬戸内海に沈む夕陽をみたら
大部屋に戻って箱枕と毛布を確保して横になった
ときどきツアーの集団を一緒になると賑やかさに右往左往したけれど
基本的にはのどかな時間をすごすことができた
高知もフェリーで行った
夜行バスは東日本への移動に何度か使った
もちろん東京は何度も行った
同じ東京行きでも
名阪国道経由や東名経由や中央道経由やいろいろあった
また東京といっても
着く場所がいろいろで、八王子に着いたこともあった
たいがい、早く着くから時間が余って
そんなときはよくMに寄ってコーヒーを飲みながら時間をつぶした
新潟もバスで行ったことがある
関西からでは列車の時間がとてもかかった
平泉へ行ったときもバスで仙台まで行ったことがある
車内のアナウンスで
到着時間の案内がとてもおおらかだったのには笑った
そうだろうと思ったが
着いた時間が予定とそれほど変わらなかったことに日本社会のすごさを感じた
今から思えば
よくあんな寝にくいところで寝ていったと思う
昔からよく言われるけれども
やはり若さは偉大だ特権だと思う
今はあたりまえに新幹線
けれども在来線も好きで
とくに1両しかない在来線をゆくのも各地をめぐるたのしみのひとつ
頑張れ若者
今の苦労は必ず将来の糧になる

2010年1月19日 (火)

旅ラジ

新ゼミ生のレオ君が京都観光に新たなプロデュースを始めました
よろしく
http://am6.jp/7mNolG

2009年8月12日 (水)

現場でがらめん

現場でがらめん
現場でがらめん

現場でがらめん
がらめんとは丹波焼の破片のことを言う
丹波立杭の陶の郷では有名なお土産物で
庭などの装飾にタイルの代わりに使われるという
秋学期の教材用に買って帰ってきたが
多少汚れていたので
洗わないといけないと思っていたが
今出川の現場で合間を見て洗うことができた
もちろん現代の丹波だから
そのまま中世陶器の資料とするわけにはいかないが
現物あっての歴史文化情報
コンテンツあっての歴史文化情報だから
触って、見て
重さや、形や、色や、材質の質感や
様々な情報を確認するための
大切な資料になる
秋学期の授業では
備前、信楽、常滑、瀬戸美濃、丹波、土器を材料に
生きた歴史文化情報を勉強してもらおうと思う
今日の京都は35度だと携帯の天気予報が示す
さまざまな発見がうまれそうな様子だ
帰りに京都駅の八条口をぼーっとして歩いていたらやたらにラフな姿の人が多いことに気がついた
そうかここは日本で最も有名な国際観光都市で、おまけに今は夏休みだった
明日は東京

2009年8月11日 (火)

今出川調査頑張っています

今出川キャンパスで発掘調査が始まっている
日々の状況は、歴史資料館のホームページから知ることができるが
限られた時間や諸条件の中
大学でおこなう発掘調査としてベストを尽くすべく
一斉休暇の期間も惜しんで作業が続けられている

調査の担当は歴史資料館の浜中先生と永野さん
関係者として出来るだけ手伝いに行くようにしているが
今年の夏の天候不順と暑さに振り回されて苦労が絶えない
けれども、こういった仕事ではそれも常のこと
安全に十分留意をして頑張ってほしい

参加する学生君たちは
その姿を目の当たりにすることで
実社会と密接につながっている
考古学という学問の幅の広さと奥の深さを学んでくれると思う

2001年から足かけ4年にわたって
そんな思いをしながら夏と冬とを過ごした
様々な思い出と膨大な記憶を辿りながら
短い打ち合わせをして
静かな今出川を出る
寒梅館を横目に

新しい夏は始まったばかりである

2009年8月 9日 (日)

信楽逍遥

Shigaraki Sigaraki02 秋学期の授業準備のその3

清右衛門陶房にて

2009年8月 8日 (土)

丹波逍遥

丹波逍遥
秋学期のために
その2

丹波を訪れたのは、約30年以上前だったと思う
丹波古陶館と三田の窯を巡った
三本峠や立杭も行ったかもしれないが覚えていない
一斉休暇の初日、秋学期の授業準備を兼ねて丹波へ向かう
帰省ラッシュの初日とも重なり、中国道は西宮北口まで渋滞
途中、名塩を回って余計に時間がかかってしまったが思ったより早く三本峠を通過する
立杭は信楽に似た谷の村だった
篠山市今田町(こんだちょう)にある立杭陶の郷では
よろこんだスタンプラリーがおこなわれていた
窯元の作品が並ぶフロアで破片をもとめ
古陶磁展示で瀬戸の梅瓶そっくりの刻画文壺(表面がはがれて須恵器質の胎土が見えていた)と
山茶碗と常滑そっくりの焼けひずんだ甕を見て
中世丹波の淡い灰釉と明るい器壁を頭に入れる
隣に新しく出来た県立の陶芸美術館があり丹波焼きの歴史の企画展がおこなわれていた
近世から赤土部で赤色を強くした丹波は備前を意識したのだろうか
その後、篠山へまわって古陶館で見た慶長期の丹波にも同じ感想を持った
気温は35度まであがっていた
陶器神社をたずねたあと、向かいの窯元で南北朝の釉色に近い箸置きを買い
思いっきり静かな立杭から篠山へ
篠山口から篠山川をさかのぼった先が篠山城
その南の道を篠山川と平行して東へ行くと妻入の商家が立ち並ぶ河原町
篠山は伊賀上野に少し似た雰囲気で
丹波古陶館はその一角にある
坂の多い場所の記憶があったがまったく違っていた
あれはどこの記憶と混ざったのだろうか
来週はデカンショ祭りだそうだ
築城400年祭もあり、町中はその準備で賑わっていた

2009年6月 1日 (月)

佐倉の森で

佐倉の森で
戦国時代の京都にタイムスリップ
新宿から京王線に乗って車窓を眺めていてなにか違和感があると思っていたら
畑の風景だった
畿内は水田の風景が多いため
道を歩いていると
耕作地はその下にあって見下ろして歩く
けれども武蔵野を行くと畑は道より高い場所にあり
手の届くところに農作物がある
路地に入ると地道はいたるところにある
これが関東かと思っていたら
佐倉のまわりは道の下に田んぼがあった
風景の背景は面白い


from 鋤柄俊夫

2009年5月31日 (日)

會津八一記念博物館

会津八一記念館
会津八一記念館
会津八一記念館
去年の合同企画展で知られるように
早稲田と同志社の関係は深い
森先生も水野祐先生の古代史を高く評価している

正門を入ってすぐの建物にある會津八一記念博物館には
その早稲田大学が大切にした実物資料への思いが形になり一般に公開されている
実物資料が語りかけてくる言葉を
その重みを
もっともっと多くの人に伝える努力と
伝えるための努力をしなければならないと改めて思う

三角縁神獣鏡の図面を見ながら

from 鋤柄俊夫

2009年5月19日 (火)

下司2号墳の測量実習

090519_142001

平板かトータルステーションか
それが問題だ

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